愛読している山崎元さんのブログで『介護の値段はどうなっているのだろうか?』という記事があります。ボクのブログでは、コムスン問題が表面化した以降、何度か介護に関して書いてきましたけど、最近ではmoto金田浩さん(すっかりこのブログでも常連のコメンテーター(笑)となっていただいています)とコメントのやり取りを細々と続けているだけでしたので、せっかくなので山崎さんに呼応する形で、この辺で少し整理してみたいと思います。
まず「ビジネス一般の問題としても、将来の問題としても、民間でのビジネスベースの介護がどのように行われていて、どんな問題点を抱えているのか」という話から・・・
介護は大きく分けて、特別養護老人ホームや有料老人ホームなどに移り住んでケアを受ける「施設系介護」と、自宅に住んだまま施設に通ったり、ヘルパーさんに自宅まで来てもらったりする「居宅系介護」の二種類に分けられると思います。
現状は費用も安く、家族の手を煩わせずに済む特別養護老人ホーム(以下、「特養」と略します。)の人気が高く、おそらく全国どこでも希望してもすぐには入れない、入居待ちの状況です。この場合、待ちと言っても、一斉総入れ替えなどがあるわけではなく、自主的に退去されるか・亡くなられるかしなければ空きは出てきませんので、いつまで待つのか?分からない状況だと思われます。
※ちなみに東京の新宿区の場合では1,000人以上の待ちと言われています。ボクの見方が間違っていなければ、新宿の場合で約750床のキャパシティですから、入居の困難さはご理解いただけるかと思います。
しかしながら、人気だからといって経営が順調かどうかは分からないんです。特養とは言え、運営しているのは民間団体で、介護報酬の中でやり繰りしていることは他の介護ビジネスと同じです。そういう意味では、費用のほとんどが人件費で占められ、その人件費は人手不足から上げざるを得ない状況になってきているわけですから、経営的には非常に困難になりつつあるようです。
※このあたりは、文京区の特養「くすのきの郷」が指定取り消し処分を受けるにいたる経緯で良く分かると思います。中日新聞の「介護迷走<10>」に詳しく載っていますので、ご参照ください。
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2007071802033436.html
では、同じ施設系でも、有料老人ホームはどうなのか?
今回のコムスン問題で、受け皿として一番に名乗り出たのが、まさに有料老人ホームを経営しているワタミで、しかも当初は施設だけを引き受けたいと名乗り出たという話だったことは記憶に残っているでしょうか。
ここから分かることは、ワタミが施設経営にノウハウがあることだけではなく、有料老人ホームには介護ビジネスの中では比較的まだ光っている儲けの種が残っていることなんですよ。
もう少し説明しますと、通常の介護ビジネスの収入となる介護報酬(法律で金額が定められています)とは別に、山崎さんの記事にもあるように「高い入居金」を取ることなどが経営努力として可能なんです。しかも施設系から居宅系へという介護保険の政策・方針からすれば、今後はここが更に「需要の割に供給は少ない」というビジネスとしての狙い目になっていくであろうことは容易に想像できます。
そういう点では、比較的ビジネスとしては成り立ちやすいと言えるでしょう。
しかし、有料老人ホームは元は不動産ビジネスの一巻であることも多く、経営状態はいろいろです。経営不安が噂されている施設も多いと聞きます。今後はこのあたりの問題も出てくるでしょうね。これは蛇足です。
そんな風に施設系介護の人気について書くと、
だったら、「居宅系介護」は、お客さんがいなくて困っているのか?
と思われますよね。
でも、違います。
施設に入れない人(入居待ち)だけでなく、自宅にいるまま介護サービスを受けたい人も大勢いるんです。
だから、ここでも、需要の割に供給が少なくなりつつあるんです。
その理由は・・・簡単です。
人手が足りない・・・
介護は人が行うサービスですから、ヘルパーがいなければ供給できません。そのヘルパーになりたい人、その仕事を続けたい人が足りないんですよ。
これは仕事の困難さに比べ、報酬が少ないことが原因だと思います。更に言えば、介護保険制度により、保険料を支払っている当然の権利としてのサービスとなっていますから、感謝の心で報われることも少なくなっているのではないか、そんなこともボクは感じています。
本来のビジネスであれば、そういう状況になれば、受益者からもらう利用料を高くして、サービス提供者に支払う報酬も上げることで需要と供給のバランスが保たれることになるんだと思いますが、基本的には介護保険制度の中でそのような調整機能がかなり制限されていますので、そうもいかないんですよね。
ここがいくら制度を変えても、今後も大きな課題として残る部分だと思います。
みなさん、ハローです。ホディです。
出来るだけ分かりやすく説明しようと思っているんですけど・・・
難しいですね。
さて、ここで介護保険の説明をしておきますと、
介護される人・・・ 市町村からその身体の状況に応じて、認定を受け、上記のケアにかかる費用の9割を保険料で賄う(つまり自己負担が1割で済む)という仕組みです。
介護サービスを提供する側・・・ サービス内容によって全国ほぼ一律で定められた報酬が支払われるという仕組みです。
その他に介護保険料を支払う人・・・40歳以上(今後は拡大していく動きもあります。)・・・もいるわけです。
基本的には、ボクらにはなじみの深い健康保険と同様の仕組みなんですよね。
にもかかわらず、介護は株式会社にも開放してしまったわけで、、、この辺は今後の医療・健康保険制度の改正にも影響があるんでしょうか。
医療と介護は線引きが難しいとボクは思うので、本来は健康保険制度の範囲内で介護も検討すべきだった気もしますが。そのあたりは、厚生労働省が医療で握れなかった主導権を介護で握ることで鬱憤を晴らしているように見えてしまうのは、ボクの見方が悪いせいでしょうかね。素人考えなので、ここまでにしておきます。
最後にもう少し・・・
山崎さんからは以下の問いかけもありました。
(1)人生の最終盤を、気持ちよく過ごすには、幾ら掛かるのか?
(2)介護ビジネスは旨みがあって儲かるのか?
(3)どのような仕組みで介護サービスを提供すれば多くの人が満足できるのか?
(2)については、ある程度、ここまででボクなりの意見を述べてきました。
まとめると『介護保険次第』、今のままでは有料老人ホーム以外は難しい、という意見です。今後、景気の悪化などがあって、一転して人材難が解消されれば別ですけどね(苦笑)。
そして(1)と(3)について・・・
ここで「誰のための介護保険か?」という問題を考えるべきかと。
高齢者のためだと思いますか?(介護を受ける側)
もちろんそういう面も当然あると思いますが、
実際には『介護をする側』、つまりボクらのためなんですよね。
『介護の社会化』ということで、それまでは家族が担ってきた、しかも高度成長期以降はその中でも長男の嫁に押し付けてきた、そんな介護を家族(長男の嫁)から解放して、社会全体で引き受けようと言うのが、『介護保険』だとボクは理解していますが、、、
本来は介護は、やはり育児と同様に、広く家族、あるいは地域、更に言えば家族というコミュニティを奪ってきた職場で引き受けるべきものだとボクは思っています。
ボクは何が言いたいか・・・
「気持ち良く過ごす」のも、「多くの人が満足する」のも、
お金や仕組みではなく、実はボクら次第ではないか?
そんな風に思うんですよね。
最期は家族で、なんて今時古いですか。
ここまで長々と書きながら、最後は身も蓋もない意見になりました。すみません。
本当はもう少し上手く説明したいのですが、これが今日のボクの限界です。
みなさんの意見も勉強させてもらいます。
続きはまた今度(笑)。
ぜひ、山崎様の所へコメントとして書き込み
頂ければ幸いです。
つまるところは、世論ではないでしょうか。
一般の方の負担増にたいして、お許しを頂く。
例えば、福祉目的としての消費税アップとか。
勿論、無駄な政府の支出を切りつめたあとでですが。
一方では我が国の国債残高を考えると、増税分を
福祉目的にだけ使用するということは困難が
伴いますが、それでも有る程度を回してもらって。
介護がビジネスになるか否かと言う話ではありませんが、介護を受ける人、介護をする人の気持ちを少し代弁しますね。
私は3年間に3人の介護と看取りをしました。
家庭から病院と特養から病院のケースです。
病院も特養も家族がどうかかわるかで対応に違いがありました。
家族の見舞いがまめな患者は病院でも施設でも大事にされる傾向は歪めません。人間がすることですから。
長生きしすぎて子供ではなく孫が時々来られるご家族も居ました。
病気になれば病院と言うところがありますが、病気ではなく体の自由が利かないと言う人の生活が一番悲惨なのです。
私の母は薬を包んだオブラートで喉をふさぎ窒息しそうになりました。たまたま、家族が居ましたので助かりましたが一気に体調が悪くなり死にいたりました。
私はとろみオブラートを使ってほしいと看護士さんにいっていたのですが、私の居ない時は守られていないようでした。
義兄の場合は明らかに医療過誤です。
84歳でした。
平均寿命を超えていると、病院の対応、弁護士の対応は不満だらけでした。
私が介護を受けるなら、出来るだけ自宅でヘルパーさんと過ごしたいですね。
これは頭が正常に働いていればが前提です。
家族の識別が出来なくなれば家族の判断に任せるしかないと思っています。
介護を受けるとなると、この過酷な労働に対価を支払いたいと思います。
ところが、有料ホームですら「少し記憶が曖昧ですから」と本人の居ないところではぼけ老人のような発言で言い訳をします。
日本には宗教心は育ちませんでしたね。
この頃「おかげさま」の言葉の意味が良く分かるようになりました。
段々体力や記憶力に自信がなくなるのが怖くなります。
もうすぐ介護を受ける側として、みんなが等しく介護を受けられるとは私は考えていません。
おにぎりが食べたいと書いてなくなる人がいる国ですから。
長々とすみません。
考えがまとまりません。
褒めていただいて恐縮です。ありがとうございます。
今更ながら読み返すと、誤字もあったり、意味不明な展開もあったり、言い足りなかったり・・・そんなものですね。
山崎さんのところには、TBさせていただいています。コメント欄での参戦は長文になりそうでご迷惑をかけそうなので遠慮しておきます。
そして、おっしゃるとおり世論、民意なんですよね。
ボクらがどうしたいか?あるいは将来どうしてほしいか?
本当は・・・
誰のためでもなく、自分のための「介護保険」、
こういうことを言いたかったんです。
伝わっていないですね(笑)。
skogさん、コメントありがとうございます。
とても勉強になります。ありがとうございます。
自分の意見も厚労省の役人や有識者とやらの人たちと同じで単なる机上論だと気づかせていただきました。
長くなりそうなので、追って記事で少し補足させていただきたいと思います。
失礼いたしました。
自分のための介護保険であるともお書きに
なっておられます。
失礼いたしました。
今晩の報道ステーションで東京のかっての
大きな団地が高齢化し、多くのお年寄りの
方がお一人で僅かな年金10万円程度で
介護も受けずに暮らしているとのこと。
考えさせられました。
報道ステーション・・・
見逃してしまいましたが、気になるニュースですね。
先日は東京の大久保周辺での同様の話題を別の民放が取り上げていました。
東京は便利なようで不便な面も多いんでしょうね。地方に比べて、近くに誰かはいるけど、孤立してしまう傾向がますます強まっていく気がします。
10年後の東京はどうなっているか???
また、人口の割には首都圏では、費用の安い特養などの施設が少ないそうです。
このあたりも問題になるかもしれませんね。団塊の世代は、「疎開」も検討すべきかもしれませんよね。
この場合、田舎が故郷で、父母や兄弟が残っていて
農業していましたか。
いずれ、食料の自給問題が発生して、多くの方々の
労働力が必要になりましょうから、これって名案と
思います。
疎開・・・
団塊の世代のみなさんが、最期にどのような生活をしたいのか???
便利で快適な生活を求めて来られたわけですけど、いざ、老後の生活と言う問題をどう感じていらっしゃるんでしょうか。
コンクリートの街から、土の街へ・・・
自分で作った野菜を食べて、近所の人とお茶を飲む・・・
そんな生活も悪くはないかと思うんです。
高齢社会の旗手になっていただきたい。
そして、高齢者の生き方の指針を作ってもらいたい。
多くの後輩の為に、多くの若者の為に。
高齢社会がけっして、マイナスではないと。
不安なんかないと。
団塊の世代・・・まだまだがんばっていただかないといけませんよね。戦後の集大成はこれからでしょう。ボクも期待しています。
moto金田浩さんのおっしゃるとおり、
多くの後輩の為に、多くの若者の為に・・・
世界に先駆けて、超高齢化社会のあり方を作り上げてほしいと思います。
していますが、ご勘弁下さい。
なにせ「今日までそして明日から」の歌
好きなもので。(笑)
さて、介護の利用される方の負担は
どこまで可能なのかについて考えて
います。