今日は子どもの生活発表会。
生活発表会?
妻から聞いて何だかよく分からなかったんですけど、
子どもが歌や演技を披露する会のようですね。
インターネットで調べると、どうやら一般的な言葉のようで、それ以外にはお遊戯会と言ったりするようです。ご存知でしたか?
後ほど詳しく書きますけど、ボクにはそのような発表会の記憶が全くありません。
本当になかったのか?
忘れてしまっただけなのか??
発表会の内容は、歌と劇。
劇は登場人物を数人のグループで演じるんですね。年齢的に一人で演じるのは難しいでしょうし、時間的にもそのような運営が最適なんでしょう。
確かテレビで、小学校の学芸会(?)で平等にしてくれと言う保護者のために「複数の桃太郎」が出てくる劇の映像を流しているのを見かけましたけど、その話と今回の劇の背景は違いますね。
でも、台詞もないバックの木の役を自分の子が精一杯演じていたら、どう思ったか?
「いいぞ!その汗!!」と心の底から拍手できたか??
それとも、うちの子にはもっと良い役をやらせてくれと思ったか???
そんなことを想像しながら、親心は難しいと思っています。
発表会はなかなか良かったですよ。
成長した子どもの姿を確認できましたし、自分の子だけではなく、みんな照れながらも精一杯声を出して、動いている様子には感心します。これが大人になると、照れると斜に構えてしまうんですよね。
みなさん、ハローです。ホディです。
ビデオカメラを抱えて、行ってきましたよ。最近はほとんどの家庭にあるんですね。
同じようなカメラマンがたくさん来ていました。
こういう場に慣れているだろう子どもも、被写体としての自分を知らず知らずのうちに意識しているんですかね?
ところで、みなさんは、こういう発表会のこと、よく覚えていますか?
きっと、うちの子は大人になっても、よく覚えていると思います。
なぜなら、ビデオで復習するから。
早速うちに帰ると、ビデオをテレビに映して、見ていました。
こうしているうちに、他者の目から見た映像として、自分の記憶とは別に、まさに保存されるんでしょうね。
ボクらは、こういう小さな頃の記憶は極めて乏しい・・・
ボクの頃だったら、数日後に出来上がってくる写真を見るだけですから。しかも望遠レンズも今ほど上等なものではないので、遠目で小さく写っている写真を。
もちろん、もっと前だったら、写真すらないでしょうし。
被写体としての自分、
あるいは、他者の目で見た記憶、
ボクらにはない感性を期待しつつ、
自然な自分をなくして欲しくないな、と思う今日この頃です。
hoddyさんのお子さんが一生懸命演じている姿と、お子さんの成長にhoddyさんが目を細める姿が目に浮かびます。
CMで「わかめ」の役に汗を流して全力投球できる子供、微笑ましいですよね。もし私に子供がいたら、どんな端役であっても前向きに、ひたすらに、楽しく頑張る・・あんな元気な子供を育てたいと思います。
「学芸会」、そうですね!そう言われると、小学生の時に経験した気がします。
fallさんの家には、8ミリがありましたか。すごい。
ボクの周りにはなかったですね。。。
CMは「わかめ」でしたね。
これも、そう言われるとそうだ!と気がつきました。
ボクも「どんな端役であっても前向きに・・・」育てているつもりですけど、本当に子どもが端役だったときに、子の思いもそうですけど、ボク自身もどう思うのか???本音と建前の間で、自分の小ささを実感しています。
端役が舞台や社会を支えている・・・
当たり前の事実が、いざ我が事になると不条理に思えてしまいます。
ボクのような親がきっと世の中には多いと思いますので、そういう意味では親の教育が日本の教育の再生の鍵となるような気がしますね。