考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

階層化日本と教育危機(上)

2005-06-15 21:58:47 | 
『階層化日本と教育危機』を読んだ。


学校で学ぶ意味が見つからない。学習への動機づけがはたらかなくなった、といわれる。
「豊かな社会」の出現によって、少子化による受験競争の弛緩によって、あるいは学歴により保証されてきた「終身雇用」の崩壊によって、子どもたちを学習へと動機づけるしくみがはたらかなくなった、というのである。
なるほど、こうした見方は、多くの人々に受け入れられやすい。
子どもたちの学習意欲の減退や学習時間の減少を示す調査の結果も枚挙にいとまがない。
しかしながら、このような一般的な問題のとらえ方は、一つの重要な論点を隠している。
どのような家庭的背景の子どもが、学ぶ意味をみつけにくくしているのか、どのような社会的カテゴリーに属する子どもの動機づけが弱くなったのか、という問題である。
学習意欲の変化を例にあげたが、ここには、教育というスクリーンに投影された、階層化する日本社会の変貌が写しだされている。
だれもが同じように学習の意欲を失っているのではなく、それが特定のカテゴリーの子どもに顕著な現象だとすれば、学習の意欲の低下は、格差の拡大を伴って進んでいることになる。
そうだとすれば、教育の場に現れるこうした――見過ごされた――階層化の拡大は、日本社会にいかなる影響を及ぼすのだろうか。

と冒頭から大きな問題提起でこの本は始まります。

みなさん、ハローです。ホディです。

著者の苅谷剛彦さんは、この本の中で教育の場で進む階層化の実態とメカニズムを解説されています。

この感想は少しずつ書きますね。

今日は風邪をひいてしまったようです・・・

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« さくら観察記10 | トップ | 大阪へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事