考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

ぶれない

2009-07-11 23:11:19 | 徒然なるままに

東京は明日の選挙に向けて・・・
正直、あまり変わっていない気がします。

ちょっと思っていたのは、
街宣車って書くと怒られますか、選挙カーも今時の選挙なのか、少ない気がします。
この辺は今時というより、東京らしい、といえるかもしれませんが。
ちなみに、今日は「○○さんをよろしく!私は国民新党の亀井静香です。」なんて、
誰のアピールか、分からないような応援を連呼しながら、
一台通り過ぎたくらいでしょうか。
確かに、エアコンかけている家も多いでしょうから、声張り上げてもあまり意味がないのは想像に難くないですよね。

いよいよ、明日、投票日。
地方議会の選挙のはずなんですが、国政に向けた多くの一票が投じられることでしょう。

今日はそんな話ではなく、
先日、読んだ日経新聞のコラムのこと。

火曜日でしたか、スポーツ欄のコラム「スポートピア」でサッカー解説者の水沼貴史さんが『道違えど物言う信念』という題で、サッカー指導の難しさと若者へのメッセージのような内容を書かれていました。

サッカーの進路は、いろいろな育成ルートが増え、しかもどういうルートが良い選手を育てるのか、という点では、何ともいえないという状況のようです。
水沼さんも「ルートが多様化、複線化すること自体はいいことだろう」と書かれていますし、
ボクもそう思います。

興味深かったのは、以下の部分。(引用させてもらいます。)

ある程度の年齢になったら選択に子供の意思を反映させることが大切だ。
自分で居場所を決めてきた選手はおしなべて意識が高いからである。私の要求に対して、「無理」と簡単に弱音を吐かない。できると思うから求めてきている、無理かどうかを決めるのは指導する側、という根本を理解してくれているのも、そういう選手たちだ。
逆に「何となく大学に来た」という選手たちはあきらめが早い。修正能力も低い。自分の物差しを妙に過信し、「ぶれない」という言葉が好きだったりする。
ぶれない自分をつくるために幹を太くするには周囲の助言に耳を傾けることが大事だが、耳をふさぐことがぶれないことだと勘違いしていたりする。
(以上、引用部分)

「ぶれないこと」が、
今の自分の知識や能力の範囲や視野を限定して、その中でできることをすること、
という感じなんでしょうか。 
何となく想像できる気がします。

水沼さんの問題意識は、引用部分の冒頭にある、「ある程度の年齢になったら選択に子供の意思を反映させること」にあって、
親心で、より青く見える芝生を求めて、ルートの選択を代行しているという点なんでしょう。

一方で、子供の選択の自由により、困難な場所や作業から逃れるケースも問題視されているのも事実ですよね。

ここは「ある程度の年齢」というのが、胆なんでしょう。
年齢というのは客観的な数字ですが、育ちは様々ですので、
ここは難しいですよね~
ボクら親の悩みどころなんでしょう。

最後に、こんなことも書かれていました。

登山と一緒で頂上までのルートはいくつでもある。大事なのは「どのルートが正しいか」ではなく、どの道をたどろうと頂上に立ってみせるという信念なのだろう。

頂上までのルートもそうですが、そもそも、山もいくつでもあります。

高い山を登ること、その素晴らしさと、それに向かうチャレンジの尊さ、そういう信念の大切さ、
一方で、誰もが登れるわけではない、その才能や運の違い、
この辺を教えてあげることも、親や指導者の務めなんだろうな。。。
なんて考えていました。

今週はいろいろと嫌なニュースが多く聞こえてきましたよね。
放火殺人2件、田舎町の親殺し・・・
「動機がよく分からない(よく理解できない)」という意味で、とても現代らしい事件ばかりです。
「動機」を追いかけることが、警察や報道の使命だった時代は終わったと思いますが、
この辺は、また今度として・・・

「ぶれないこと」が、
今の自分の知識や能力の範囲や視野を限定して、その中でできることをすること、で、
そんな「ぶれないこと」を大切にしている現代人が多くいること、

が、本当に現実なのだとしたら、
ますます、こういう事件は増えるんでしょう。
「ぶれないこと」が大切なのは、動物園の動物たちであって、
ボクらの周囲には、いろいろな山があることを教えていかないといけない、
日経新聞のコラムから、そんなことを考えていた一週間でした。

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