いきなりの猛暑に、首都圏はいよいよ電力不足の危機の声も大きくなりつつありますが、
週末で、特に日曜の今日は気温も低く、小休止というところでしょうか。
しかしながら、明日から猛暑復活との週間天気予報。ちなみに、東京の予報ですと、明日の月曜からの最高気温は30、33、32、31、31と平日はすべて真夏日。
7月を直前に控え、本格的な節電の夏の迎え方が議論になりそうです。
Yahoo!の電気予報でも、明日はいきなりの95%予想。朝の9時から夜の9時くらいまでは、85%以上の高水準で、ピークは午後1時から4時くらいになっています。
ここは、誰か一人のがんばりで何とかなるような話ではありませんので、
とにかく、午後の時間をどう乗り切るのか?各自の工夫とほどよい我慢が求められています。
節電・原発再稼動問題については、橋下徹大阪府知事(@t_ishin)のTwitter上での発言も話題になっています。今日の発言中には以下のコメントがありました。
電力が足りないから原発が必要と言うロジックは完全に破たん。国会議員の多くはまだこんなことを言っている。年間を通して電力は十分に余っている。電力会社はもっともっと電気を使ってもらいたいくらい。ただ夏の猛暑のほんの数日間、供給が追い付かない時がある。ここをどうするかの問題。
posted at 10:41:20
私も全く同意です。
ほんの数日、さらにはその数日のほんの数時間の電力の使用量を賄うために、ほとんど東京電力に依存して電力を供給してもらっている事自体が問題で、この危機を原発の再稼動で賄おうという問題先送りの対策は、勘弁してほしい。
このピークを支えるための電力供給体制が、今後の日本企業の競争力維持のためには不可欠とよく聞きますが、これは本当でしょうか?
ここは人事の仕事ともつながったのですが、企業の要員問題も、この「ピーク対策」が肝となっているんです。二十年前までの感覚では、ピークにあわせての増員・要員確保(採用)が当然だったんですよね。
それでも右肩上がりの時代には、そのピークは成長・好業績により、日常に飲み込まれて、結果的にはピークをターゲットにした要員計画は正解だったわけです。でも、ご承知の通り、今の時代は違いますよね。ピークを基準にした単純な増員は景気の変化の波・デフレの流れの中では失敗となるリスクを含んでおり、その要員計画は慎重にならざるを得ないでしょう。
閑話休題。
電力も同様ではないかと。右肩上がりの電力消費、電力使用量が増えることが前提の電力計画はすでに古い・・・今の体制を維持することは、今後もその高いピークに合わせたコストを負担し続けることでもあり、逆にこの機会に電力の消費(電力を供給してもらう先)について見直すべきチャンスであるようにも思います。
人口が減少に転じた日本社会、さらには省エネ・節電文化も根付きつつある中で、3.11以前と同様の電力を確保するための議論は必要なく、いかに廃棄コストの高い原子力から脱却しつつ、ピークを抑えることで電力コスト自体を下げていくのかを議論する必要があるのではないでしょうか。
私たち一人ひとりが意識したいことは、どうしたら公共電力の消費のピークを抑えることができるのか?
キンキンの冷房に慣れた身体を、少し高めの気温でも効率を下げないように慣れる・鍛えることは必須になりそうです。(こんなにキンキンの冷房体制が張り巡らされたのは、いつごろからだったんでしょう???)
現実的にも、すでに今回の電力危機は、通勤のオフピークにもつながりつつあるのではないでしょうか。さらには、7月以降は土日を出勤日にして、その代わりに平日のどこかに所定休日を設ける企業も増えそうな勢いです。労働のピークが分散されることで、電力消費も分散していくでしょう。
(このあたりは私たちの働き方、生き方も見直すことになりそうです。ここはまた今度。)
一方で、ピークを抑えることと同じくらい大事なのは、地域別に一社依存の電力供給体制でしょう。
東京ガスはエネファームのCMを止めてしまってしますし(今こそ、大事だと思うのですが・苦笑)、ソフトバンクの新エネルギー事業・農作放棄地の活用には、あまり好意的な話は出てこないですよね。(最近の農業には電力も不可欠で、個人的にはエネルギー対策と農業活性化の両面で効果が期待できると感じますが。)
原発依存なのは日本の電力供給能力ではなく、実は私たちの頑なな古い意識のようにも思える今日この頃です。
コメントありがとうございます。
言葉不足で誤解を招いたかもしれません。
失礼しました。
私も基本的には、おっしゃられていることは、よく理解しているつもりです。「キンキン」の程度論では違いもあるかもしれませんが。(スーツの男性をターゲットにした「キンキン」の気温設定には同意できません。)
数日前のブログでも、基本的には自分たちの身体あっての節電協力であるべきと書いているつもりですし、ピークではない時間帯まで無駄に自粛したり、企業側は逆手にとってコスト削減の道具とすべきではないとも感じています。
一方で、豊富な電力を前提とした、窓が開かず、風も入らない建物や電車(夏の光力でも自然の明るさを活かせなかったりetc)、
エレベータなどを言い訳?にして実質的には効率化が主目的である似非バリアフリーの最新の駅舎などもどうか???と感じます。
まさに現代の私たち、健常者のエゴですよね。
それでも、少なからず節電が必要で(それが生きるために電気が不可欠の人たちを助けることにもなりますし)、ピークだけと言ってもなかなかコントロールしにくい習慣や思い込みを避けるためには、振り子が振れ過ぎることも必要悪なのかもしれません。
そういう意味では、また長くかかるかもしれませんが、kanreki_madikaさんがおっしゃる“少しずつ進んできた”インフラと同じように、多様化・バリアフリーの意識が本当に根付いていくことを私も願うばかりです。
書かれていることは、本当におっしゃるとおりですし、こういうコメントが前述の意識の醸成につながることを祈りつつ、私も拙い意見ながらkanreki_madikaさんのコメントに返信させていただきました。
「明るすぎる駅」「効きすぎる空調」「不要に見えるエレベーター」これらは、この夏、いの一番に「節電」されました。でも、これらは、「贅沢な健常者」のためのものではありません。長い時間をかけて、少しずつ進んできたユニバーサル・デザインの成果なんです。視聴覚、体温調節、歩行機能、さまざまなハンディを持つ高齢者や障害者でも、等しく享受できる公共、ということです。促進法のおかけで、私企業でも少しずつこういう人たちが雇われてきてるんですが、暗く暑いビル、間引かれたエレベータが当たり前です。いざとなれば、一番に忘れられる少数者だからなんでしょう。頭の片隅ででも、「弱者と節電」について考えていただければ、幸いです。