ここ数日、毎日見かけた会社の前の道路での検問、
今朝はありませんね。
サミットの終了を感じさせる変化でした。
それにしても、無事にサミットが終わって良かったですね。
そんなサミットとは、全く関係ありませんが、
今朝、気になった記事・・・
今朝の日経(2008/7/10)、2面の政治欄「寸言」という枠に、
与謝野馨議員の講演会での発言が掲載されていました。
無駄論争の無駄・・・
『無駄ゼロ』はむなしい議論だ。家計でもダンナのパチンコを奥さんは無駄だと言う。奥さんが通信販売で高い化粧品を買ってもダンナは無駄だと。価値観によるのであまり言わない方がよい。
確かに無駄か?無駄ではないか?は、価値観いろいろ。
人生いろいろ、会社もいろいろ、価値観もいろいろ。
だからと言って、議員さんがそう言っちゃ、おしまいでしょう、と思いますね。
そう言った時点で、議員自体が無駄になってしまいます。
そもそも、政治とはいろいろな価値観が複雑に存在する一つのコミュニティを、
優先順位や必要性を判断しながら、まとめていくことではないか、
と、ボクは思っていますので、
政治家の「価値観が違うから議論はやめよう」という発言なんて、
自らの仕事の否定だと思うんですよね。
ボクが思うのは、「ダンナのパチンコ」も、「奥さんの化粧品」も、
家計全体に余裕があって、自分が使用できる範囲であれば、
それはそれで、それぞれの価値観で自由にすれば良いでしょう。
でも、収入が減ったり、生活に必要な支出が増えたりしている中では、
先月はそうだったから、今月もそうさせてもらう、
パチンコも、化粧品も、自分には無駄じゃないから良いじゃないか、
となって、自分勝手にお金を使っていたら、
家計はグチャグチャになりますよね。
「ダンナ」と「奥さん」がしっかりと、話しあっておかないと家計だけでなく、
家庭も崩壊します。
家庭から、さらに大きなコミュニティ、しかも国レベルになると、
当然のことながら、もっと複雑になるんでしょうね。
だから、専門で、代表して、議員が調整役を担うわけでしょう。
しっかりしてほしいものです。
それでも、本当に無駄がゼロになったら窮屈ですよね~
それこそ自分自身の否定につながりかねません。
無駄もまた有益なりとも、ボクは思いますが・・・
ほどほどに・・・
コメント、そして温かいメッセージ、ありがとうございます。
ボクもみなさんのコメントに元気づけられ、
何とか3年以上もブログを続けられています。
そんなつながりといいますか、
メッセージのやり取りはヒトにとって必要なんですよね~
「優しい」なんて言われると、
おそらくリアルhoddyを知っている人は苦笑いするのではないか?
と思いますけど、
出来るだけ、いろいろな角度から物事を見れるように
努力していきたいと思っています。
良いところ、おっしゃられ、私も、嬉しくなっています。
いいコメントに接し、失礼ながら、書かせていただきました。
根底にあるものの芯がきちんとしているからだと思われます。
疲れていない時も勿論ですが、気持ちが弱っている時にhoddyさんの文章を読むと、『もう一踏ん張りしてみよっか!ー』になれます。