Twitterでの茂木健一郎先生の就職活動についての連続ツイート・・・
http://togetter.com/li/40223
を受けて、内田樹先生のブログの記事・・・
http://blog.tatsuru.com/2010/08/06_1028.php
人事担当者としては、実に頭の痛い話です。
日本の企業は「優秀な人材を見逃し続けている」という茂木先生。
内田先生は、「大学二年生の秋から始まる「就活」によって、大学教育が深く損なわれている」うえに、
さらに問題なのは「「きわだって優秀なわけではないが、育てようによっては、かなりいいところまで行きそうな潜在能力をもった人たち」(若者たちのボリュームゾーンを形成する部分)を日本社会が構造的に「潰している」という事実」
だと書かれています。
確かに否定できない事実のような気がします。
新卒信仰と呼べるくらいの人材(人財)確保に際しての日本社会(企業だけではなく、役所なども含めた広い意味)の妙なこだわり。固定観念。
かつては、就職活動、いわゆる「就活」によって、その採用側の流れ(資料を請求して、エントリーシートを提出して、説明会・筆記試験・面接etcと進む動き)や空気をうまく読んで、出来るだけ効率的に、かつ優先順位をつけながら立ち回っていく資質を測りやすく、
さらに同時期に大量に(採用側にとっても効率的に)査定できるという点でも、
非常に便利な日本的な仕組みだったんですよね。
日本企業がガラパゴスの中で、右肩上がりの横並びの市場でやっていけていれば、
それはそれで良かったようにも思います。
残念ながら、こうした採用側の利便さは、景気によってそれこそ横並びに新卒採用数を減らし、いわゆる「ロストジェネレーション」と呼ばれる不遇な年代を作り出し、
採用側が本当に求める「優秀人材像」とその確保に向けた努力、それがまさに企業の戦略だと思うんですが、そうした独自性を生み出すチャンスを遅らせる(逃す)結果ともなっているんですよね。
でも、こうして書きながらも、これを変えることは非常に困難だとも人事担当者としては痛切に感じるのも事実です。
なぜなら、新卒で採用できなければ、大企業の大量採用はこの閉鎖的な雇用環境の中では不可能に近い話なんです。
日本の社会では大手企業が必要とする採用数中途で確保できるだけの流動性がない、
それと、それを消化できるような採用体制と査定ノウハウがない、つまり新卒の学生(もしくはそれに近い経歴の人)を査定するくらいしか自信がないのも実態なんだと思うんですよね。
あわせて、経営者も人事のボクらの多くも、その「就活」の申し子だったりするというのも厄介な呪縛だったりすると思います。
それでも、その昔ながらの慣行を少しずつでも何とか変えて、
本当に優秀な人財のいる会社にするのがボクらの仕事なんですよね。
出来れば、日本全体の人材育成(高等教育への影響も含む)も念頭におきつつ・・・
んんん・・・言い過ぎか・・・
とにかく、ボクらの意識を変えないことには、何も変わらないですよね。
がんばりましょう。
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