先日(7/10)の日経新聞(日曜日)28面の『中外時評』を読んで、とても考えさせられましたので、今日はその話に関連して過疎地の問題について少し書きたいと思います。
みなさん、ハローです。ホディです。
「都民が日本をだめにした?」と興味をそそらせる見出しで、論説委員の吉野源太郎さんが書かれています。
内容を大雑把にまとめますと、
「東京都民は地方を支えるために国から搾取されてきた。今回の都議選も、郵政民営化問題は実は過疎地の郵便局を維持するために大きな負担を蒙っているという面もあり、切実な当事者であったにもかかわらず、声をあげなかった。一方で東京都でも高齢化が急速に進みつつあり、どこかで都民も自分たちがいかに人が良かったか、と気づくであろう。」
と、こんな感じの内容でした。
ボクもひとりの東京都民として同感すべきなのか?と戸惑いを感じつつも、やはり地方出身者として故郷を思う気持ちの方が先に立ち、怒りと悲しみも合わさった複雑な心境です。
また郵政民営化問題が都議選の争点であるべきか?については先日も少し書きましたが、疑問の残るところです。が、今日の本論とは関係がないので、特に触れません。
■■■
全体的に都民として非常に危機感を覚える内容ではあります。少し引用しますと、
「東京論」は70年代後半に潮が引くように消えていく。それは団塊の世代が社会に順応していく過程だった。
(中略)
彼ら(団塊ジュニア)はバブルと共に育った。豊かさはバブル崩壊後も東京に花を咲かせた。「彼らはそれを素直に享受した」(雑誌『東京人』編集長、高橋栄一氏)
親は沈黙し子どもは豊かさに埋没する。自らの負担と権利に目を向けようとしない「文化」が定着した。政治はそこにつけこんで日本をゆがめた。
東京とは一体なんだという「東京論」が団塊の世代で途絶えて、都民は沈黙し、更にその子どもである団塊ジュニアの世代は豊かさに埋没するだけで、ついに東京という街には愛着やこだわりが育たなくなった。そのために都民の意識は「よく言えば無関心、正確には無責任」であることにつけこんで自民党も民主党も都民に犠牲者であることを押し付けている。。。
おっしゃる通りですね。
ボクも都民のひとりとして、キチンと東京という街に愛着とこだわりを持って、責任を果たさなければならないのでしょうね。。。
都民としての意識の不足を実感しつつも、それとは別の地方出身者としての思いとの狭間で戸惑いを感じています。
■■■
また、(国が)「地方へのばらまきの原資を東京から搾り取ってきた」ことについて。“ばらまきの原資”という表現が良いかどうかは別として、確かに実態は多くの東京を中心とした都会に住んでいる人たちの税金が地方へ流れているのは事実だと思います。都会は人が多いし、所得も多い。若い人も多いし、仕事も多い。
この記事によると、東京都は税金の納付額の8.3%しか国から還元されていない。
一方、島根県(我が故郷!)は439%、高知県は386%の還元率だそうです。
確かにこういう比べ方をしたら、一方的な数字に見えるでしょうね。。。
でも、そもそも税金ってそんなものじゃないですか?
所得の多い人は税金を多く支払って、所得の少ない人はそれなりに支払う。でも、国や自治体から受けるサービスは平等、というか逆に所得の少ない人のほうに厚くなるようになっている。したがって、所得の多い人と少ない人を比べたら、還元率は多い人のほうが小さく、少ない人のほうに大きくなるのは理屈としては合ってますよね。
その理屈を抜きに、高額納税者が大勢いる東京と、高齢化が進み若者も減ってきた島根を単純に数字で比較するのはどうなんでしょうか?
ちょっと酷いと怒りを覚えます。
確かに税金の使途については、都民だけではなく国民全体で目を光らせる必要があると思います。ボクもたまに田舎に帰ると、新しい道路ができていたり、なぜか空港が二つもあったりしますので、税金の無駄遣いに言及されるならばともかく・・・
■■■
そして、最近強く感じるのは過疎地、過疎化の問題。
郵政民営化問題で、突然に過疎地の郵便局のサービスについて話題になっていましたが、ここだけ切りとって過疎地の問題を議論するのは、何となく都合の良い時だけ政治家が弱者を利用しているようで嫌悪感を覚えます。なぜなら、郵便局云々以前の問題で残念ながら地方の多くは過疎化が進み、そして過疎地は徐々に切り離されつつあります。今回の郵政民営化法案の修正で郵便局だけ残してもらっても遠くない将来、人のいない街になっていくでしょう。このような本質的な問題を棚にあげて、過疎地のために郵便局を残そうなどという話だけが一人歩き。。。
とにかく地方には民間企業が少ないです。
役所や郵便局などの官の組織、そしてそこから発注を受ける建設土木関連の企業、地方に残っている人たちは現実的には税金で食べているような面もあります。税金の還元がなければ、食い扶持が無くなるということも極端な話ではないでしょう。。。
でもボクの育った田舎も税金依存地域になりたくてなってきたわけではないと思います。地域の努力といっても限界もありますし、今後も抜本的な雇用を生み出す政策がない限りは民間任せではどうにもならないであろうと懸念しています。そして「なるようになれ」と地方を切り離して、これ以上地方を衰退させるのも良いとは思いません。
故郷を捨てたような形になっているボクが偉そうに言えるような話ではないかもしれませんが・・・
まとめきれないままですが、また機会があれば書きます。

みなさん、ハローです。ホディです。
「都民が日本をだめにした?」と興味をそそらせる見出しで、論説委員の吉野源太郎さんが書かれています。
内容を大雑把にまとめますと、
「東京都民は地方を支えるために国から搾取されてきた。今回の都議選も、郵政民営化問題は実は過疎地の郵便局を維持するために大きな負担を蒙っているという面もあり、切実な当事者であったにもかかわらず、声をあげなかった。一方で東京都でも高齢化が急速に進みつつあり、どこかで都民も自分たちがいかに人が良かったか、と気づくであろう。」
と、こんな感じの内容でした。
ボクもひとりの東京都民として同感すべきなのか?と戸惑いを感じつつも、やはり地方出身者として故郷を思う気持ちの方が先に立ち、怒りと悲しみも合わさった複雑な心境です。
また郵政民営化問題が都議選の争点であるべきか?については先日も少し書きましたが、疑問の残るところです。が、今日の本論とは関係がないので、特に触れません。
■■■
全体的に都民として非常に危機感を覚える内容ではあります。少し引用しますと、
「東京論」は70年代後半に潮が引くように消えていく。それは団塊の世代が社会に順応していく過程だった。
(中略)
彼ら(団塊ジュニア)はバブルと共に育った。豊かさはバブル崩壊後も東京に花を咲かせた。「彼らはそれを素直に享受した」(雑誌『東京人』編集長、高橋栄一氏)
親は沈黙し子どもは豊かさに埋没する。自らの負担と権利に目を向けようとしない「文化」が定着した。政治はそこにつけこんで日本をゆがめた。
東京とは一体なんだという「東京論」が団塊の世代で途絶えて、都民は沈黙し、更にその子どもである団塊ジュニアの世代は豊かさに埋没するだけで、ついに東京という街には愛着やこだわりが育たなくなった。そのために都民の意識は「よく言えば無関心、正確には無責任」であることにつけこんで自民党も民主党も都民に犠牲者であることを押し付けている。。。
おっしゃる通りですね。
ボクも都民のひとりとして、キチンと東京という街に愛着とこだわりを持って、責任を果たさなければならないのでしょうね。。。
都民としての意識の不足を実感しつつも、それとは別の地方出身者としての思いとの狭間で戸惑いを感じています。
■■■
また、(国が)「地方へのばらまきの原資を東京から搾り取ってきた」ことについて。“ばらまきの原資”という表現が良いかどうかは別として、確かに実態は多くの東京を中心とした都会に住んでいる人たちの税金が地方へ流れているのは事実だと思います。都会は人が多いし、所得も多い。若い人も多いし、仕事も多い。
この記事によると、東京都は税金の納付額の8.3%しか国から還元されていない。
一方、島根県(我が故郷!)は439%、高知県は386%の還元率だそうです。
確かにこういう比べ方をしたら、一方的な数字に見えるでしょうね。。。
でも、そもそも税金ってそんなものじゃないですか?
所得の多い人は税金を多く支払って、所得の少ない人はそれなりに支払う。でも、国や自治体から受けるサービスは平等、というか逆に所得の少ない人のほうに厚くなるようになっている。したがって、所得の多い人と少ない人を比べたら、還元率は多い人のほうが小さく、少ない人のほうに大きくなるのは理屈としては合ってますよね。
その理屈を抜きに、高額納税者が大勢いる東京と、高齢化が進み若者も減ってきた島根を単純に数字で比較するのはどうなんでしょうか?
ちょっと酷いと怒りを覚えます。
確かに税金の使途については、都民だけではなく国民全体で目を光らせる必要があると思います。ボクもたまに田舎に帰ると、新しい道路ができていたり、なぜか空港が二つもあったりしますので、税金の無駄遣いに言及されるならばともかく・・・
■■■
そして、最近強く感じるのは過疎地、過疎化の問題。
郵政民営化問題で、突然に過疎地の郵便局のサービスについて話題になっていましたが、ここだけ切りとって過疎地の問題を議論するのは、何となく都合の良い時だけ政治家が弱者を利用しているようで嫌悪感を覚えます。なぜなら、郵便局云々以前の問題で残念ながら地方の多くは過疎化が進み、そして過疎地は徐々に切り離されつつあります。今回の郵政民営化法案の修正で郵便局だけ残してもらっても遠くない将来、人のいない街になっていくでしょう。このような本質的な問題を棚にあげて、過疎地のために郵便局を残そうなどという話だけが一人歩き。。。
とにかく地方には民間企業が少ないです。
役所や郵便局などの官の組織、そしてそこから発注を受ける建設土木関連の企業、地方に残っている人たちは現実的には税金で食べているような面もあります。税金の還元がなければ、食い扶持が無くなるということも極端な話ではないでしょう。。。
でもボクの育った田舎も税金依存地域になりたくてなってきたわけではないと思います。地域の努力といっても限界もありますし、今後も抜本的な雇用を生み出す政策がない限りは民間任せではどうにもならないであろうと懸念しています。そして「なるようになれ」と地方を切り離して、これ以上地方を衰退させるのも良いとは思いません。
故郷を捨てたような形になっているボクが偉そうに言えるような話ではないかもしれませんが・・・
まとめきれないままですが、また機会があれば書きます。

自分の住む町への愛着を持つことの効果というのは、「国から税金をより多く還元させよう」というよりは、例えば「ゴミを拾おう」だとか、「地元の野球チームを応援しよう」だとかいう、あいまいですが、豊かな気持ちで生活するための精神的な支えみたいなものなんじゃないかと思います。
難しい問題ですね~
地方自治体が国から独立して存在する以上は「都道府県益」、「市町村益」の最大化についても、その与えられた予算や権限の中で考えるべきと思います。しかし、tockriさんのおっしゃる通り「国から税金をより多く還元させよう」というのはゆがんだ考えだと思います。
ただ現実的には、全世界・地球の利益よりは、国の利益、そして身近な地域の利益、更に言えば自分の利益を優先するように考えてしまうのは仕方がないんでしょうかね・・・
「豊かな気持ちで生活するための精神的な支え」って良い言葉ですネ!大切にしたいですネ
おっしゃるとおり日経も少し煽りぎみなんでしょうね。。。
「無関心族」が多すぎるのもまずいですしね。
地方の問題、過疎化の問題はもっと真面目に議論しないと取り返しがつかない気がしています。
地方の交付税依存体質、公共事業依存体質は、考え直さなければならない面もあります。
しかし、日本全体として考えれば、どういうことになるのでしょうか。
養老孟司氏は、「都市」と「自然」、「脳」と「身体」などの対比で論じられます。
まさに東京は、「都市」であり「脳化社会」です。すべてが「脳」で解決しようとする社会だといえるのでしょう。
「脳」から見れば、思い通りにならない「身体」は、「無駄飯」を喰う厄介者なのです。
たぶん、思い通りにする「都会」から見れば、思い通りにならない「自然」、つまり田舎は金を喰う厄介者なんでしょう。
日本の田舎で作った野菜よりも、安い外国の作物の方がいいと考えるのが、「脳」や「都会」の考えることで、「身体」や「自然」を忘れた考え方なのです。
というようなことを養老氏は言っています。
私は、田舎者なので、それに共感を持っています。
管理人さんが、故郷島根のことを思ってくださることをうれしく思います。
長くなり失礼しました。
長文でお邪魔するより、自分のブログに書けばよかったのかもしれません。
「脳」と「身体」、面白い話ですね~。とても納得させられながらコメントを読んでいました。
ボクは、「国力、国力・・・」と言いながら、増強するのは武力だけで、食物も自給できない社会を作りながらなんだろうな?と感じています。「脳」だけに頼るとこうなってしまうのでしょうか。
いろいろ勉強になります。
早速読んでいただいて、ありがとうございました。