悲惨な事件が続く中で、我々はこんな事件があったこともきっと忘れてしまう。
でも、この事件は偶然だったのか? 危機は去ったのか?
ボクはそうは思いません。
このままじゃ、もっと悲惨な事件は続くだろうし、
自分も家族もいつ当事者となるか分からない。
記事を読み終わった直後の感想です。
漠然とそう思いました。
みなさん、ハローです。ホディです。
少し古いですが、2005.4.10号「サンデー毎日」の記事を紹介します。
みなさんは佐世保市の小6同級生殺害事件を覚えていますか?
その被害者の父親のインタビューの記事です。
記事の内容としては、被害者の家族としてのその後の意見と感想を
自らの仕事であるジャーナリズムについてなども絡めながら
4ページにわたって書かれていました。
特に注目した話だけを青字でピックアップさせていただきます。
審判では多くの資料を開示していただいて、ほとんど目を通しましたけど・・・
分からなかったですね。
そう言われれば、そういう言い方しかないだろうと思うけど、
なぜ一線を越えたのかは分からない。
<長崎家庭裁判所佐世保支部の少年審判より>
加害者の人格特性については、以下の通り分析している。
・社会性や他者への共感が希薄で、怒りを適切に処理できない
・『死のイメージ』が希薄で、いまだに命を奪った重大性を実感できていない
加害者の生来的な特性については、以下の通り分析している。
・対人的なことに注意が向きづらい
・物事を断片的にとらえる傾向
・抽象的なものを言語化することの不器用さ
・聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理しやすい
ただ「これらの特性は軽度で、何らかの障害と診断される程度には至らない」と位置づけた。
また
・加害者を両親が「おとなしく手のかからない子」と見誤ったため、
対人関係や社会性、共感性の発達が未熟
・会話による意思疎通が不器用で、家庭も学校も加害者の思いをくめなかった
・愉快な感情以外の感情の認知、表現が困難で、怒りを抑圧・回避するか
相手を攻撃する両極端な行動しかできなかった
などの問題点を指摘した。
更に、加害者が傾倒していたホラー小説などが殺害行為に影響したことも認めた。
彼女が(卒業アルバムに)載らないにせよ載るにせよ、
子どもから「なぜ」って聞かれたときに、
親はちゃんと答えられなきゃいけないと思ったんです。
大人がもがいている姿を子どもに見せることも必要だと思ったんです。
漏れ聞く話では、親や子どもたちが事件について話し合う機会は、
それまでほとんどなかったようですので、
話し合いが行われたと聞いて、ほんと、うれしかった。
彼らはずっと、自分の中で考えていたんですよ、事件のことを、
だから結論も一色に染まらなかったんですね。
毎日新聞ニュース:卒業アルバムの白紙のページ
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/03/18/20050318ddm041040150000c.html
向こう(加害女児の両親)は「一生償いをさせていただきます」
というようなことをおっしゃった。
でも相手はね、やり直しがきくんですよ。
こちらはやり直せませんから。
ただ、失ってしまっただけですから。
それから「あなたたちの言葉は理解するけれども、信じません」
「これからも、あなたたちの行動を見続けますよ」とも言いました。
被害者の家族も、加害者の家族も、そして加害者本人も、
一生残る傷を負ったんだと思います。
また、周囲の子ども、そしてその家族、そして先生たちにも・・・
レベルは違うかもしれませんが・・・
家庭が悪い?、親が悪い?、学校が悪い?、先生が悪い?、社会が悪い?
きっと全部が、全部のバランスが悪いんだと思います。
日本人が「人に迷惑をかけなければ良い」などと言うようになり、
「まず自分が楽しく生きること」が是となった。
これで良いのだろうか?
企業だけでなく、個人も社会的責任を考えなくてはならない時代になったと思います。
ボクらにはコミュニティの一員としての責任があるんです。
↑↑↑と、まとまりもなく、6日の夜に書きとめたネタがここまでです。↑↑↑
このネタは自分では不完全燃焼感があり、もう少しまとめてから公開しようかと思い、
そのままにしておいたわけです。。。
ところがそんなことを考えながら、ふとブログサーフィンをしていると、
内田樹教授のブログ(階層化=大衆社会の到来)に行き着きました。
※ぜひ、みなさんにも一読していただきたいですね!
内田教授は苅谷剛彦著『階層化日本と教育危機-不平等再生産から意欲格差社会へ-』(有信堂)
から話を引用しながらブログをまとめられていました。
ボクもその内田教授のブログ中にある苅谷教授の本の話を引用させていただきます。
※苅谷教授の本も読まずにその一部だけを引用する軽挙をお許しください。
『将来のことを考えるより今を楽しみたい』と思うほど、
『自分は人よりすぐれたところがある』という〈自信〉が強まる
結論を先取りすれば、意欲をもつものともたざる者、努力を続ける者と避ける者、
自ら学ぼうとする者と学びから降りる者との二極分化の進行であり、
さらに問題と思われるのは、降りた者たちを自己満足・自己肯定へと誘う
メカニズムの作動である
それを、内田教授は「大衆化」へのステップと位置づけられたわけですが、
ボクは「価値観の軽薄化」のステップと位置づけられるのではないかと考えました。
暴論と叱られるかもしれませんが、
いわゆる「多様化」と呼ばれる趣味・趣向などの分散の一方、
同時進行で“価値観”は軽薄化する傾向にある。
これは“出身階層”だけでなく、世代や、地域など様々な要因があると思っています。
その倫理観の軽薄化により、極論ですが“何をしても自己正当化できる”社会となってきつつある。
要するに価値観が自己中心化しすぎて、結果的に社会として共通の価値観を喪失してしまったことと同じ現象を引き起こしている。
と、内田教授のブログを読んでいて、自分なりの整理がついた気がしました。
もう少し説明しますと、その価値観の軽薄化の拡大が進むのは、親も子も、先生も生徒も、
会社の上司も部下も、その他社会のそれぞれが自分の価値観に自信をなくして、
(ここは、「価値観を共有することを“悪”と位置づけ」の方が適当かも知れません)
倫理も含めた価値観について教育・共有する場がなくなりつつある・・・
そして、それぞれが“自らの考えや行動の自己正当化”を進めてゆき、
同時に価値観が自己中心的となり、軽薄化してゆくわけです。
もともとの話から大きくそれましたが、佐世保市の小6同級生殺害事件のみならず
多くの悲惨な事件の陰には、このような価値観の軽薄化が背景にある気がしています。
長崎家裁の加害者の分析からも読み取れると思いますが、いかがでしょうか?
日本社会の傾向として、コミュニティの一員としての責任と対話を失いつつあり、
子どもからお年寄りまで、価値観を軽薄化していく人が増えつつある。
そして、“人としての土台”である共通の価値観を失った人が迷走し、
迷走の果てに悲惨な事件が起きているのではないか?
と、ボクは思います。
そして、このような悲惨な事件について、表面的な出来事だけではなく、
その背景や、その後のあり方について、もっと議論をしなくてはならないと思います。
同級生を失った小学生が議論したように・・・
そうすることにより、少しでも価値観の軽薄化を阻止できるのではないか?
また、ある一定の共通の価値観を持ち、その価値観に基づき行動をすること
これが「社会的責任」であると思います。
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この長文を最後まで読んでいただいた方、大変ありがとうございます。
自分の表現したい“価値観”などをうまく定義しきれていないかも知れません。
また、まとまりきれていない点も多いかと思いますが、ご容赦ください。
そして、ぜひご感想をコメントしていただけると嬉しいです。
軽薄でない価値観とは、どのようなものだとお考えですか。
「軽薄」について全く定義されてませんね。
安易に「軽薄」という言葉使用しています。
(・_・;)
「軽薄でない価値観」とは、少なくとも“自己中心的でない”価値観であるべきと思います。
ただ、その自分の価値観に自信はありません。
失礼しました。
また、当方のブログへのコメント&TBありがとうございました。
人にはみな社会の一員としての責任、言い換えればモラルが必要だというのは同感です。
ただ、個人が持つ価値観については、最小限共通であるべきものを除いては、多様であっていい、というのが内田先生のお考えであるというように理解しており、オカダも同意見です。
これは大きなテーマですが、いずれブログに書いてみたいうと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
TBありがとうございました。こちらのTBもよろしくお願いします。これからも「考え続ける葦」になりましょう。厳しいご意見を待っています。
TBありがとうございました。こちらのTBもよろしくお願いします。これからも「考え続ける葦」になりましょう。厳しいご意見を待っています。
「最小限共通であるべきものを除いては、多様であっていい」
・・・おっしゃる通りと思います。
稚拙な文章で誤解を招いたかもしれません・・・
(・_・;;)
skogさんへ
早速、コメントありがとうございます。
考え続けるのは難しいですが、なかなか面白いですね。
ブログを始めて、発見しました。
こういうことを学校の授業で教えて欲しいな~と思いました。
お二人とも今後とも厳しいご意見をお願いします!
失礼しました。
コメントありがとうございます。
「一個の個体を形成しているんだ」
おっしゃる通りですね。
参考になりました。
ちなみに、「個人の社会的責任」の検索で
やってきました。
CSRばかり取り沙汰される今、
自分のことを棚にあげて批判ばかりする人
多いですよね。
自分も、まずはわが身を振り返りますっ
まだまだ浅い考えですが、読んでいただいてとても嬉しいです。