考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

部分最適

2007-07-31 23:06:26 | 徒然なるままに

明日からもう8月。
早いですね。

今月は日経朝刊の『私の履歴書』は長嶋茂雄さんでした。野村克也監督が約2年前の2005年6月でしたので、そろそろ長嶋さんの番でもおかしくないと思っていましたが、その前にナベツネさんがあったりして、ようやく長嶋さんの出番になっていました。
ボクが物心つくころにはすでに背番号は90番でしたので、子どもの頃の話はもちろん、現役選手だった頃の姿すらVTRの映像でしたから、笑い話になるような伝説的な話くらいしか耳にすることはなかったんですよね。だから、とても新鮮で面白かったですよ。
内容も、ボクの感覚だと、栄光のジャイアンツV9時代の話が長くなると思うんですけど、その頃の話は意外にも1日分くらい・・・こういう点も長嶋さんらしい(ボクのイメージ)という気がします。
カンピュータと言われた監督か、「ヘイ、カール」などの愉快なおじさん(失礼)のイメージしかないのですが、親父が大ファンなんですよね。
そのために毎日、スクラップしておきましたので、まとめて実家に送ろうと思っています。

さて、、、選挙の話は飽きましたよね?
でも、ここでは少し別の視点からなので、もう少しお付き合いください(笑)。

日曜はボクなりの一票への思いを書きましたけど、あまりこういうことを書くのは一般的ではないんですね。いわゆる有識者・有名人の方のブログ・意見を見ても選挙結果についての解説はあっても、自らの投票についての解説はない・・・
これも、大人のマナーでしょうか。

個人的には、ボクらの社会の中では珍しく有限の選択肢の中で意思を表すことのできるものですから、もう少し自分の意見を明らかにしたほうが面白いと思うんですよね。また、いわゆる有識者の方が、こうして自分の選挙を語ることタブー視することが、日本の政治の成熟を阻んでいる一面もあるような気がします。
どうでしょう?

選挙と言えば、日経のサイトでは、こんなニュースを見つけました。

『秋田県選管、参院比例代表の得票数訂正・集計プログラムに誤り』
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070731AT3S3104G31072007.html

秋田県選挙管理委員会は31日、参院選比例代表で票数の集計に誤りがあったと発表した。同県能代市選管が独自に使用していた集計用のプログラムに誤りがあったという。個人名の得票数で最大10票程度の誤りがあり、政党別では30票程度の変動があった。当選者に変更はない。

ミスがあったことも問題ですけど・・・

「集計プログラム」って???

Excelの式が間違っていたというなら、まだ納得できるんですけど、
“独自に使用していた集計用のプログラム”って何なんだ?
と思ってしまいますよね。
まさか、票の集計をするためだけに独自でソフト開発したってことなんでしょうか?

だとしたら、こういうのを税金の無駄遣いというのでしょう。

そういえば、自治体のIT化などと最近、よく耳にすることがあります。
大丈夫でしょうかね?
もちろんIT化自体が悪いわけではないんですけど、仮に選挙の開票集計システムが必要ならば、基本的には全国同じ制度なわけですから、国が開発すればよいわけです。

そう思いながらいろいろ見てみると、いつの間にか、各自治体はホームページも自前で持っています。
きっと別々に開発・運用しているんでしょうね。
もったいない。
少なくとも都道府県でまとめて開発して、新着情報などの細かな更新だけ各自治体別に運用すべきでしょう。

箱物で懲りたはずなんですが、「IT」も構築だけでなく、箱物に負けず劣らず運用面で大きなコストがかかることを忘れているわけではないでしょうね・・・
別の「ハコモノ行政」が動き始めている、そんな気がします。

みなさん、ハローです。ホディです。

選挙後、日経新聞の紙面では「改革」とか、「成長」とか、相変わらずの言葉が並んでいます。

ふと、改革の先、目指すべき改革後の姿は何?
成長とは、何の成長なんだ?

と思ってしまいました。
そう言われてみると、選挙の争点にすらなっていないような話ですけど・・・
常識でしょうか?
誰か教えてください。

そんなことを思ったのも、
内田樹先生のブログで「格差社会って何だろう」という記事がありまして、
http://blog.tatsuru.com/2007/07/24_0925.php
そこには「格差を測るお金以外の度量衡を持つことを考えてみようよ」という趣旨の話が書かれているとボクは読みまして、いつものようにウンウンと頷いていたんですが・・・
コメントやTB、はてなブックマークの反応などを見ると、
意外や意外、「ワーキングプアはどうなると思っているんだ!」、「生ぬるい話をするな!」という趣旨の言葉が多く目に入りました。

もちろん、ワーキングプアをどうするかとか、生活保障をどうするかとか、
現実的な政策の議論も大事です。
しかしながら、「格差を測る度量衡」、言い換えればボクらの社会の価値観の問題の議論と、現実的な政策の議論では、それこそ“度量衡”が違う話でして・・・

「改革」や「成長」の先に何をイメージするかも、まさに社会の価値観の問題でしょう。

書生的だと、大人じゃないと、そんな風に言われるかも知れませんけど、
少し立ち止まって、そんな本質的な議論をすることも必要なのではないかと考えています。


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2 コメント

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大人のマナー (moto金田浩)
2007-08-01 22:37:06
評論家の方は評論はされるが自分の投票は
おっしゃらない。

これって大人のマナーではなく、自己保身です。
そして、それは、当然のことです。(笑)
自己保身を私は非難しません。


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re:大人のマナー (hoddy)
2007-08-02 09:26:11
moto金田浩さん、コメントありがとうございます。

自己保身・・・
確かにおっしゃるとおりだと思いました。
色がつくと評論しにくくなりますからね(笑)。

でも、偉い人も、有名人も、会社の社長も、一般市民も、
すべて同じ重さの一票だというのは、
こういう人たちが無力感に包まれながら自らの投票行動を解説することで可視化されます。
こういうことも民主主義を知るうえでは重要だと思うんです。
結果論を解説されるばかりでは、あまり面白くないなと(苦笑)。

もちろんボクも非難するつもりはありませんけど、
同じようなことを考えていても、違う投票になったり、
逆に全く違うことを考えていても、同じ投票になったり。
有限の選択肢の中では、とても興味深い人間の動きがあると思うんですよね~
そういう個人的な興味ですが、是非、どのようなことを考え、どのような投票をしたか、出来るだけ多くの人が自らの解説をしてくれることを期待しています。

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