死んだらどこに行くのか?
多感な頃(今でもそうかも知れませんけど・・・)
「生きている世界のことは、ほとんど分かった。死んだあとのことは知らない。だから知りたい。」と自殺した東大生のニュース(かなり前の話なので、誤解や誇張があるかもしれません。)を聞いて衝撃を受けたことがあります。
死ぬ恐怖よりも、知る興味のほうが大きいのか・・・
ボクは今でもその人には同意できない。
なぜなら、急がなくても死んだあとの世界は誰しも平等に知ることができるから。
そして、死ぬのは、永遠の闇は、、、やはり怖い。
自殺のニュースが続きます。
今日のニュースで話題になっている校長先生の自殺・・・児童が同級生に恐喝を受けたことを、市の教育委員会に「金銭トラブル」と報告したことが問題となっていたのだとか。いじめの隠蔽と言われていますけど、「金銭トラブル」と報告したばかりに責められ殺されたこのニュースは悲惨ですね。
市の教育委員会は「小学生の金銭トラブル」は異常だと分かるでしょう。「いじめ」なんて抽象的な報告をもらうよりはずっと分かりやすい。できれば「恐喝」と報告をもらったほうが良いくらいだと思いますね。本当に「小学生の金銭トラブル」が異常だと思えなかったとすれば、この校長や学校を責める前に、自分たちの理解力不足、あるいは官僚的な報告処理を反省すべきだとボクは思います。
そして、マスコミ。こういう問題が発覚すると、「「隠ぺいととられかねない」として学校側を指導、調査に乗り出す」ことしかできない(つまり解決は学校でしかできないこと、教育委員会の無力の証明&文部科学省と学校の間の余計な中間監督機関だという証明)こんな市の教育委員会への報告が不十分だったとしても、本当に学校を責めるべき内容だったのか。学校はいじめの対応で、報告不十分以外に具体的に何か落ち度があったのか。そもそも保護者は警察にも相談しているという話ですし、隠蔽は学校なのか、それとも警察なのか。
いずれにしても、校長先生を死に追いつめる必要はなかったのではないか。
警察官の拳銃使用よりも危険な特権乱用だとボクは思います。
いじめは学校だけで起こっているのではない。
ボクらの軽くて、偏屈な正義感が「いじめ」を引き起こしている。
そして、必要以上の更なる死を招いているのではないか。
また、いじめに限らず、自殺は多い・・・
本当に誰かこの連鎖をとめて欲しい。
文字や言葉だけの「死」が、過去の記憶とともに深い悲しみにつながることがあります。「ニュース」には怒りをぶつけることもできますが、「現実」には悲しみしかない。怒りも悲しみに変換されます。
以下は愛すべき先輩へ贈ります。
「バカ!」は誰だったのか?
教えてください。
この声が届きますか?
死んだらどこに行く・・・
声だけでも届く場所だったらいいなと。
そうだと信じて、一輪の花と悲しみの声を届けさせてください。
合掌。
ホディより
ボクも時々、お邪魔していますが、なかなかコメントできずにご無沙汰しています。
おっしゃるとおり、ホント、命が軽いですよね。死ぬまで生きる義務がある!、と思うんですけど。きっと、自殺に追い込まれる人へのこんな声は逆に軽いのかもしれません・・・
そして、東大生の話はボクにもよく分かりません。
今となれば真偽も不明ですけど、不思議とボクの記憶の中に刻まれていまして。確かに死後の世界はわからないことだらけですけど、もったいない。
返事を書きながら、ふと思ったんですけど、
「生きる理由」と「死ぬ理由」・・・
「死ぬ理由」のほうが探しやすいのかもしれませんね。。。これは悲しいです。
コメントありがとうございます。
今もなお、ボクには質問以外の言葉が浮かびません。
こんな悲しみは二度と味わいたくない・・・
なぜ?どうして?と、この言葉達を何度も何度も心の中でつぶやいています。
来月お見えになった時に結婚報告をするつもりだった私の大切な友人…。昨日は2人で電話をしながら泣きました。
私の同僚が会社を去るときに見せた彼の涙。このメンバーで仕事が出来たらどんなに楽しいだろうね、と言って笑った顔。私が家族を失った時に何も言わずに肩をぽんと叩いてくれた事。
こうしている今も涙が止まりません。
何があったのかなんて私には分かるはずもありません。 でも、死なないで欲しかった。生きていて欲しかった!
最近、新聞を読むのが憂鬱になります。一つの命が軽いですね。戦争をしているわけでもないのに。
>いじめは学校だけで起こっているのではない。ボクらの軽くて、偏屈な正義感が「いじめ」を引き起こしている。
ほんとにそうですね。一人一人が自分の心の中を覗き込む必要があると思いますが、みな心に余裕がありません。
それにしても、事情はよくわかりませんが「生きている世界のことは、ほとんど分かった。」といって自殺した方は(その言葉だけとらえると)あまりに軽いです。世間には追い詰められて死にざるを得ないという人がたくさんいるというのに・・そうであっても、考え方一つで生きていくことはできると思うのですが・・
話は飛びますが、壇ノ浦の戦いで平家の知盛が「見るべきほどの事は見つ。今は自害せん」と水底に沈んでいきますが、その方はいったいどれほどのことを見たのでしょうか?
彼が命を、子を、妻を、友を投げ打つまでの理由はどこにあったのか?
訃報を聞いてから、何度も繰り返し彼の顔が頭の中ををよぎる。異動部屋で大声で騒いでる姿、西武新宿駅前の寂れたスナックで加山雄三を唄う姿、ろくなもんじゃないけど、楽しかったあの頃、温かい想い出。
もう、その会社も、異動部屋も、そして彼もいない・・・。
どこか歯車が狂って、噛み合わなくなっていく。
これ以上、壊したくない。壊れて欲しくない。
合掌。