夫の赴任先の新潟市に移住した。(私53歳でした)
1年10か月、気候も、街も、人々の気質も知らないまま。
あの鉛色の空に鬱症状を引き起こしてしまった。
それまでの転居先は子供たちの学校関係もあって
友達作りには大した苦労は要らなかった。
鉄の扉を閉めると孤独が待っている。
近くのスーパーのレジの方や、
とにかくお店のスタッフさんなら
多少の時間(瞬間だけど)は話せる。
もう必死である。
ドアを開け、訪れてくれる方が
セールス(新潟日報さん)関係で構わない。
他には美容師さん、クリーニング屋さん、
数えると6人が友達になっていただいた。
中の一人は大変面倒見のいい方で
あちこち車で案内してくださった。
ある日、丈夫な大サイズのスーパーバッグに
一杯の本を持参してくださった。
その中でも印象に残ったのは著名人の
『死生観』だった。
有識者であっても、まだまだ執着を
残す方もあり、達観して見事に散ろうと
なさる方もあった。
7割の方は達観なさっていらっしゃった記憶がある。
どなたが正しいとは言えない。
それぞれの価値観と成長段階もおありでしょう。
私などPPKを望むあたり、覚悟しているのは口先のみ!?
宮尾登美子著の『蔵』も惹き込まれた長編作だった。
これはフィクションですが、一つ面白かったのは
水の都・新潟に霜柱を踏むという表現は間違いだった。
霜柱は乾燥しないとできないとその友人が教えた。
そうなんだ、当地では凍てつく冬には立派な霜柱が
土を盛り上げる。
小説は調査が深いほど興味を覚える。
松本清張さんなどは何冊も同時進行なさるので
6、7人の口述速記のスタッフさんが居て、造詣深く
文献を調べられるそうだ。
著名作家さんにも間違いがあるのが人間らしかった。
新潟の優しい方々、感謝でいっぱいでした。
閑話休題?
新潟から当地に戻る際、荷物が二日がかりで
1泊は東京の官公庁のあるシティーホテルに泊まった。
深夜1時になっても灯りが煌々と照らされていた。
この方たちはいつ眠るのだろうとお体心配した。
雪の話
そう、新潟行きを反対してくださった
千葉の松の湯の知人が新潟には卵大の雪が降ると。
荷物を運んでくださった運転手さんたちに訊いた。
そんなバカな!嘲笑された。
翌年の最後の冬に私は卵大の雪を確認した。
黒い布地に雪を集めてみた。
球体ではないものの、平面的な6㎝幅の
雪が降った!
感動した(^^♪
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