自身は1970年代の後半に歌手、岩崎宏美さんの大ファンで、当時「親衛隊」ではございませんが、半分「追っかけ」(意味:熱狂的なファンが歌手等の移動先まで追っていくこと。また、そのような熱狂的なファン)でした。彼女のおかっぱ頭が似合うキュートな姿もそうですが、歌が抜群に上手かったことがとても魅力的でした。
懐かしい思い出を回顧すると共に1970年代のアイドル全盛期を少しでも知っていただければと思います。おつきあいいただければ幸いです。
岩崎宏美ファン回顧録 5つ
①レコードとポスター
当時、岩崎宏美さんのシングル盤は勿論ですが、アルバムもレコード屋さんに予約をして全部買っていました。予約すると大きなポスターがもらえるためです。そのポスターを何枚も部屋の壁に貼りまくっていました。ちなみに、当時はシングル盤は毎月発売され、アルバムは3か月毎に発売されていました。
②サイン・握手会
岩崎宏美さんは当時、シングル盤の新譜が発売になると日本橋や銀座の三越屋上でレコード販売兼サイン・握手会を実施しており、毎回朝早く並んで席を取り、参加していました。サイン色紙は10枚程ありましたが、現在行方不明です。
コンサートにも当時の「プレイガイド」(現在のチケット販売店)でチケットを購入し行っており、また日本テレビの「スター誕生」というアイドルになりたい人の登竜門番組に彼女が出演する時は抽選で当たれば、行っておりました。
③一眼レフカメラ
レコード販売兼サイン・握手会で写真を撮るために、一眼レフカメラ(キャノンAE1)と200mmの望遠レンズを買い、撮りまくっていました。一眼レフのカメラセットは確か当時でも10万円前後で今思うとかなりの投資でした。
④雑誌「平凡」
当時、「平凡」・「明星」というアイドル雑誌があり、毎月購読していました。(自身は硬派な「平凡」派でした。)ポスターやページの切抜きを集めるためです。切抜きはバインダーに入れて保管し、閲覧しておりました。
⑤歌謡ベストテンのラジオ番組
当時はAMやFMのラジオで歌謡曲のベストテン番組が幾つもあり、毎週楽しみに聴いておりました。彼女の曲は1位は少ないですが、ベスト10圏内は常連でした。友人が太田裕美さんのファンでランキングを競っておりました。
こうして振り返ると、カメラ、レコード、雑誌等かなりの金額を岩崎宏美さんに投じていたと思いますが、生活の中心が彼女のよき青春時代でした。
岩崎宏美さんの代表曲は日本歌謡大賞を受賞した「聖母たちのララバイ」、数々の新人賞を受賞した「ロマンス」、コロッケさんで有名な「シンデレラ・ハネムーン」があげられますが、シングル盤では「思秋期」が名曲です。
おつきあいいただき、ありがとうございます。
参考まで、「懐かしい!」関連の掲載記事はこちらです。
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