AKB48の旅

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AKBは日本の恥!? 東京五輪出演の噂、英紙が反応

2015年02月07日 | AKB
AKBは日本の恥!? 東京五輪出演の噂、英紙が反応 AKB擁護派は論調に怒り
http://news.livedoor.com/article/detail/9755426/

英ガーディアン紙は、東京五輪組織委員会の理事に昨年選ばれ、AKB48をプロデュースする秋元康氏が、グループからベストメンバーを選び、五輪の晴れ舞台で歌って踊らせることを提案したと報じた。

なんか突っ込み所あり過ぎの記事。上記引用部分は、それでも一番当たり障りなさそうなところなんだけど、それすら秋元氏自らが否定してかかってたネタのはず。記事の隅から隅まで歪みまくりの偏見ありまくり。もう言葉もない。

それでも何か書いておきたいところなんだけど、どっからとっかかれば良いのやら途方に暮れるばかり。まず前提としての文化の違いというものを、肝心の日本人自らが無自覚なところが悲しくなる。エラソに言うのも何だけど、なんちゃってフェノロサになった気分とでも表現したくなるくらい。

やはりカワイイ文化がちゃんと議論されてない現状が問題なんだろうと思う。これが子供属性であること。子供属性が最上級の価値を帯びるのは、ほぼ平和を前提とした文化に限られること。そしてそれは恐らく日本文明圏にのみ存在できるものであったこと。

そこに歴史的経緯が深く関わってしまってるから厄介。日本文明が世界文明へと組み込まれていく、その産みの苦しみこそが現在進行形の人類史なんだ、そういう視点はあっても良いんじゃないかと思う。そこには多神教と一神教のコスモロジーのせめぎ合い、自由、平等、友愛といった価値観のせめぎ合いも重畳してるわけで、もはや因果関係も定かではない。「文明に衝突」というような分かりやすさは、そこにはない。

さらに言うなら、オリンピックという存在自体が、正にこの枠組みの当事者として相応し過ぎることが、話をさらに難解にしてしまう。こっから先の議論は、とてもじゃないが一筋縄ではいかない、手に負えない。フリーメイソンというお題だけで空中分解かも。

やはり、宗教の呪縛から解放された江戸250年の平和、あたりから、こつこつと議論を積み重ねていくしかないのか。けれどもこれとて、スタンダードとも言うべきNHK高校講座日本史を見てもあの体たらくなんで、深入りしたくない気分。なんともはや。