AKB48の旅

AKB48の旅

ハレとケの外

2015年07月07日 | AKB
以下コメント欄から引用

ハロウィン・ナイトはあて書きですか。

「AKB48 チームBのファンより」(アイドルファンサイト)なんかを読んだりして、やっぱ選挙曲はあて書き要素が薄っすらあった方が。
なんでハロウィンなんだよ?的な疑問はわきますわな。

指原から見るAKB的虚構だろうと言われると、なるほどなと。


さっしーは「悪魔」であって、自分が映像を見た印象は美しいだけでなく、どことなく淫靡でエロティックでもある。
ハロウィン・ナイトのモチーフは祝祭、つまりはハレであって、さっしーはケガレの象徴だろうか。
もう一つ最初に映像を見た時に、センターは白を基調とした衣装のまゆゆじゃね?というもの。
でも、まゆゆはケの象徴と考えれば、ハレの非日常的祝祭はケガレの象徴のさっしーセンターがしっくりくるのか。
お化けたちが今日だけ自由なのが、恋するフォーチュンクッキーの初披露の時の篠田麻里子と大島優子を思い出させますね。

今、流行(ってんのか?)りのニーチェ先輩風に言えば、まゆゆ的なものとさっしー的なものの対立でAKB悲劇は成立してきた。
マージャンなんかさせとる場合やないで、AKB的悲劇の誕生の論文早う!


kazuさん。コメントどうもです。

アハハですね。こんな暴論を書くのは私ぐらいのものと自惚れてみましょうか。もうちょっと言ってしまうなら、指原さんがAKBを引き連れてった祝祭空間がハロウィンなんでしょう。あるいはこのハロウィンを隠れサバトと見れば、指原さんの衣装がルシファー=サタンであることと、こじつけ的に辻褄が合う。

ハロウィンの由来を鑑みるなら、キリスト教(光)によって切り開かれた森(闇)なんであり、あるいはもののけ姫の世界観なんかとも通じる、アニミズム的心性でもあるでしょう。これは昔ちょっと触れた、一神教的心性からの脱出の試みとも取れる。

でもって指原さんをハレと見るかケと見るか、それはどこに視点を置くかにもよるでしょうし、それ以前に、指原さんはたぶんそんな対立軸の上にはいないんじゃないか、少なくとも私はそう思います。