私だけのことかも知れないけど、この癖になるような感触には魅了されざるを得ない。「ハロウィン・ナイト」を追っての旅は続く。
現在まで判明してる歌詞を見ても、ほとんど人工無脳というと言いすぎかも知れないけど、大したことは言ってないと言い切れそう。歌詞としてはほぼ空っぽという評価で良いように思う。曲についても、先日書いた通りで、懐かしさや馴染みやすさはともかくとして、新規さというか、耳をそばだたせるような何か、刺さるような何かはないと思う。つまり、楽曲としてはほぼ空虚と言って良いんではないか。
けれども、その周囲を取り巻くギミックが分厚い。そもそもがハロウィンというコンセプトを、しかもこの時期に持ってきてるというのがそうだし、センター指原さんが終始出張ってるし、他のメンバーも決して負けてない。各自の衣装については既述の通りで、楽曲以外の要素で濃厚に埋め尽くされてることになる。
結果、「空虚な中心」という日本を象徴するかのような構造が立ち現れてると見なせる。この構造は、メッセージソングでもあった「恋するフォーチュンクッキー」とは真逆になってることになる。反転してることになる。同じ総選挙曲にして、同じ指原さんセンターにして、こんな「対称性」が現れてることについて、それが意図的でないなんて事があるだろうか。
けれども、秋元氏にはそもそも計画性とかがないということもまた明らかだろうし、であれば恐らくは意図することなく結果的に、こういう構造を立ち現れさせてしまったとする見方の方が妥当だろうと思う。
では何がこの曲へと結実させた原動力となったのか。メインは先日書いた通り、この曲が指原さんへの当て書き、それも歌詞内容とかではないコンセプトレベルでの、まったく新しい形の当て書きであるとする考え方であり、これでQ.E.D.としても良いんだけど、それだけではつまらない。暴論の弾幕が薄い。
やはりもう一つの要素、忘れようとしても決して忘れることのできない「襲撃事件」の陰がそこに射してるんではないか。
悪夢の襲撃事件が起こってしまったのが、2014年5月25日。直後の第6回選抜総選挙の1位は渡辺さんになり、そのスピーチは「AKBは私が守ります!」だった。実際に総選挙曲の「心のプラカード」は、徹底して守りに入った曲だった。そうならざるを得なかったし、そうするしか選択肢はなかったんだろうと思う。守備というのは地味なもので、労多くして益少なしだったろうに、渡辺さんは自らに科した使命を見事に全うしたと言えるんじゃないか。
そして直近のシングルが「僕たちは戦わない」だった。積極的にそういう意図ではなかったかも知れないけど、メタファーとしては十分だろう。襲撃事件を許し、川栄さんを奪われたことを許す、そういうメッセージとして捉えることができるだろうし、秋元氏に1ミリもそういう意図がなかったとは思えない。AKBの中の人的に、そして秋元氏的に、襲撃事件は過去のものとなったという表明と受け取ることができるんじゃないか。
かくして満を持して、指原さんという最強の駒を先頭に打ち立てて、再び打って出ることのできる喜びを爆発させた。それが「ハロウィン・ナイト」の出自なんではないか。
現在まで判明してる歌詞を見ても、ほとんど人工無脳というと言いすぎかも知れないけど、大したことは言ってないと言い切れそう。歌詞としてはほぼ空っぽという評価で良いように思う。曲についても、先日書いた通りで、懐かしさや馴染みやすさはともかくとして、新規さというか、耳をそばだたせるような何か、刺さるような何かはないと思う。つまり、楽曲としてはほぼ空虚と言って良いんではないか。
けれども、その周囲を取り巻くギミックが分厚い。そもそもがハロウィンというコンセプトを、しかもこの時期に持ってきてるというのがそうだし、センター指原さんが終始出張ってるし、他のメンバーも決して負けてない。各自の衣装については既述の通りで、楽曲以外の要素で濃厚に埋め尽くされてることになる。
結果、「空虚な中心」という日本を象徴するかのような構造が立ち現れてると見なせる。この構造は、メッセージソングでもあった「恋するフォーチュンクッキー」とは真逆になってることになる。反転してることになる。同じ総選挙曲にして、同じ指原さんセンターにして、こんな「対称性」が現れてることについて、それが意図的でないなんて事があるだろうか。
けれども、秋元氏にはそもそも計画性とかがないということもまた明らかだろうし、であれば恐らくは意図することなく結果的に、こういう構造を立ち現れさせてしまったとする見方の方が妥当だろうと思う。
では何がこの曲へと結実させた原動力となったのか。メインは先日書いた通り、この曲が指原さんへの当て書き、それも歌詞内容とかではないコンセプトレベルでの、まったく新しい形の当て書きであるとする考え方であり、これでQ.E.D.としても良いんだけど、それだけではつまらない。暴論の弾幕が薄い。
やはりもう一つの要素、忘れようとしても決して忘れることのできない「襲撃事件」の陰がそこに射してるんではないか。
悪夢の襲撃事件が起こってしまったのが、2014年5月25日。直後の第6回選抜総選挙の1位は渡辺さんになり、そのスピーチは「AKBは私が守ります!」だった。実際に総選挙曲の「心のプラカード」は、徹底して守りに入った曲だった。そうならざるを得なかったし、そうするしか選択肢はなかったんだろうと思う。守備というのは地味なもので、労多くして益少なしだったろうに、渡辺さんは自らに科した使命を見事に全うしたと言えるんじゃないか。
そして直近のシングルが「僕たちは戦わない」だった。積極的にそういう意図ではなかったかも知れないけど、メタファーとしては十分だろう。襲撃事件を許し、川栄さんを奪われたことを許す、そういうメッセージとして捉えることができるだろうし、秋元氏に1ミリもそういう意図がなかったとは思えない。AKBの中の人的に、そして秋元氏的に、襲撃事件は過去のものとなったという表明と受け取ることができるんじゃないか。
かくして満を持して、指原さんという最強の駒を先頭に打ち立てて、再び打って出ることのできる喜びを爆発させた。それが「ハロウィン・ナイト」の出自なんではないか。