AKB48総選挙総括。見どころはたくさんあった……でも「残酷ショー」はこのままでいいのか?
AKB48の総選挙は、2010年代初頭から半ばにかけて、エンタメの形としては新しいものを提示したと思います。一方で、社会の流れを鑑みると、このフォーマットはいろいろな意味でそろそろ耐用期限を迎えつつあるようにも感じます。
「誰かを痛めつけることを楽しむエンタメ」というもののあり方をこの先どう更新していくか。そういった問いを、運営サイドはいよいよ真面目に考えるべきタイミングに来ているのかもしれません。もちろんこれは運営サイドの問題だけでなく、投票して楽しんでいる自分のような人たちにも突きつけられる投げかけではありますが。
グループ内におけるメンバーの立場を一発逆転させるようなドラマチックな部分を残しながら、今の時代にあったエンタメのあり方をどうやって形作るか? AKB48が「予定調和を嫌う」ことでここまでの存在になったのだとすれば、今考えるべきはそういったことではないかと思います。
この先AKB48が社会にとって求められる存在であり続けるためにも、再びあらたなエンタメの形を提示してくれることを願ってやみません。
表面的には、この問題意識で合ってるんだろうと思われる。けれどもそれはやはり「表面的」に過ぎないわけで、記事にも指摘されてるとおり、「ポリティカルコレクトネス」的な虚構の意識に依拠したものとも見なせそう。問題意識へと向き合う方法論的な誤謬とでも言うか。
現実を直視して、現実が残酷であるという当たり前の事実に謙虚に向き合った上で、そんな残酷な現実の1ミリ先の無へと手を伸ばすこと、それが「予定調和を壊す」ということなんだと、あらためて指摘してみたい。
それとなく異論など
AKB48の総選挙は、2010年代初頭から半ばにかけて、エンタメの形としては新しいものを提示したと思います。一方で、社会の流れを鑑みると、このフォーマットはいろいろな意味でそろそろ耐用期限を迎えつつあるようにも感じます。
「誰かを痛めつけることを楽しむエンタメ」というもののあり方をこの先どう更新していくか。そういった問いを、運営サイドはいよいよ真面目に考えるべきタイミングに来ているのかもしれません。もちろんこれは運営サイドの問題だけでなく、投票して楽しんでいる自分のような人たちにも突きつけられる投げかけではありますが。
グループ内におけるメンバーの立場を一発逆転させるようなドラマチックな部分を残しながら、今の時代にあったエンタメのあり方をどうやって形作るか? AKB48が「予定調和を嫌う」ことでここまでの存在になったのだとすれば、今考えるべきはそういったことではないかと思います。
この先AKB48が社会にとって求められる存在であり続けるためにも、再びあらたなエンタメの形を提示してくれることを願ってやみません。
表面的には、この問題意識で合ってるんだろうと思われる。けれどもそれはやはり「表面的」に過ぎないわけで、記事にも指摘されてるとおり、「ポリティカルコレクトネス」的な虚構の意識に依拠したものとも見なせそう。問題意識へと向き合う方法論的な誤謬とでも言うか。
現実を直視して、現実が残酷であるという当たり前の事実に謙虚に向き合った上で、そんな残酷な現実の1ミリ先の無へと手を伸ばすこと、それが「予定調和を壊す」ということなんだと、あらためて指摘してみたい。
それとなく異論など