矢野城
やのじょう
城名 | 矢野城 |
住所 | 津市香良洲町地家 |
形式 | 居館 |
遺構 | 消滅 |
規模 | 推定;東西60m×南北70m |
城主 | 矢野下野守 |
標高 | 5m |
歴史 | 矢野村は始め長野氏の支配であったが後に北畠氏の支配となった。 |
経緯 | 伊勢平野の中央を西から東へ分断するように雲出川が伊勢湾に流れ、香良洲の三角州で枝分かれするところに矢野氏の居館が築かれた。 |
正平7年(1352)10月4日、足利氏が阿坂城を攻めてきた。阿坂の従騎であった矢野下野守は中村口の戦いで戦功があったようである。 | |
延文5年(1360)5月、伊勢守護仁木義長が幕府に謀反を企て長野城に籠ったが陥落。また9月28日には近江葛木山に出陣し六角崇永と合戦し敗れる。この時矢野下野守も討死した。 | |
書籍 | 三雲村史 |
環境 | 伊勢湾を警護する船の港を守り、雲出川の舟運を握り、足利勢力とにらみ合う第一線にある。東に「堀田」南に「馬場」西に「エバグチ」「下馬屋敷」や「中門」の地名あり。 |
一族 | 北畠家家臣 |
家臣 | 阿坂の従騎、波瀬の与力 |
勢陽五鈴遺響 | 矢野城址;矢野下野守歴代居セリ |
現地 | 宅地 城跡は小字地家垣内、西方寺を中心とした地域と推定される。西方寺の周囲は堀跡と思われる道が取り巻いている。 |
感想 | 北畠勢力図の北の防御線を水上、海上を中心に担っていたと思われる。水上が主な活動域のため山城は持たず居館で対応した。云わば香良洲の三角州全体が城域と考えていたのかもしれない。 |
地図 | https://www.google.co.jp/maps/@34.6486915,136.5268037,4191m/data=!3m1!1e3!4m2!6m1!1s1sE7i85-3qeA10HRT1ZDejbj3Ddw |
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