城名 |
城山城 |
読み |
しろやまじょう |
別名 |
棚橋城 |
住所 |
度会町棚橋 |
形式 |
丘城 |
遺構 |
無し(堀切痕、切岸跡らしきものは散見される) |
規模 |
不明 |
城主 |
福井若狭守か |
標高 31m 比高 川面より15m |
経緯 |
”以前から城山と呼ばれていた場所”と三重の中世城館に記されている。 |
書籍 |
三重の中世城館 渡会史 |
渡会史の記述を以下に記す。 |
棚橋の集落のほぼ西端に位置する段丘上にあり、下方は宮川の流れがかつては大渦を巻き、曲流するところであった。 |
小高い崖をなし、北西部には「城の小殿さん」と呼ばれる小祠がある。 |
東側は「城の阪」と呼ばれ堀切となっている。 |
現在その大部分は町営住宅の「城山団地」となっている。 |
築城などについての伝承や文献はないが南北朝の動乱時代に北朝方の拠点であった蓮花寺にかかわるものであろう。 |
環境 |
北側の山が宮川に迫り出すように人や川の可動範囲を狭めている場所で、恐らく古くは通行だけでも難儀な場所だったと想像される。また、その山で宮川が大きく湾曲し、船溜まり的な場所をつくっているところでもある。 |
現地 |
宮川本流と北からの支流の合流点で、棚橋の河岸段丘台地の突端となる所に城はある。そこを県道が城跡を分断しているように見える。 |
北西300~400mの山腹、山頂には蓮華寺城がある。渡会史が記す「南北朝の動乱時代に北朝方の拠点であった蓮花寺にかかわるもの」の可能性はあると思える。この辺一帯を法楽寺と言ったらしいがその一角を占めていたのではないだろうか。 |
考察 |
この城が北朝側か南朝側なのか? |
感想 |
地形や周辺のロケーション、残っているわずかな歴史情報から、重要な地点であることは間違いないだろうけど、跡形の無い城跡の典型だ。残念!!!!! |
地図 |
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