今徳城
こんどくじょう
住所;三重県津市安濃町今徳北出
築城時期;応永年間
城主;奥山常陸介
今徳城は北の長野藤定と南の北畠具教の勢力圏の中間地点にあり、北畠氏の家臣
である奥山常陸介はここで防衛し今徳城は北上戦の最前線であった。
永禄元年(1558)北畠具教の次男を養子・具藤とし一旦和議が成立した。後、長野
氏の家臣が養子・具藤を追放し織田信長の弟・信包を養子に入れた。同時に織田軍は
津田一安を伊勢侵攻の先鋒とし今徳城を攻めた。
津田一安と長野軍、対して奥山常陸介と北畠軍の戦いになったが今徳城は陥落しな
かった。
永禄12年(1569)、60日に及ぶ大河内城の戦いであったが再び和睦が成立し信雄
が北畠に養子に入った。 奥山常陸介は織田信雄に仕えることになった。
天正4年信雄は奥山常陸介ら重臣に具教暗殺の密命を指示、常陸介は領地3千石
加増の朱印状を受け取ったが悩んだ。主君の命令は絶対だがかといって長く仕えた具
教卿を討ちとることなどできるはずがない。常陸介の出した結果は仮病を使い朱印状を
焼き、今徳城を破却し遁世するというものであった。
真盛上人開山の西来寺を頼りその辺りに庵を構え国司家の菩提を弔ったという。
地図;https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zMB0lt7eZPVw.kfXn7gkwAAkU
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます