上野城・伊賀上野城・白鳳城・(筒井城)
天正9年(1581)天正伊賀の乱、織田信長の侵攻があってここにあった平楽寺が焼失した。
伊賀国主となった筒井四郎定次は城塞の大改修、城下町の建設を行う。
しかし、慶長13年(1608)失政を理由に改易となる。
次に藤堂高虎が伊予国から移封となり領主となった。
城郭を拡張し、特に豊臣方に備えるため西方に日本一高いといわれる石垣をめぐらせた。また城下町を南に移した。
この綿密に設計された上野の町は極小数の貴重な歴史的な町といわれている。
天守閣は慶長17年(1612)工事半ばにして暴風雨で倒壊した。
現在の天守閣は昭和10年(1935)に川崎克氏が私財をなげうって3年がかりで復興したものである。
上野城の特色
1、筒井氏の20数年間の築城のあと藤堂高虎が入城、津城は平時の住処とし上野城は更に戦略に重きを置いた改修が行われた結果貴重な歴史的な町になった。
2、397年前天守の建築中、暴風雨に襲われ倒壊。323年後の昭和10年に現在の天守閣が完成する。私財をなげうっての個人的な思いである。
現在、石垣の修復中。マニア必見!
なんと、鉄砲を撃って兜の性能を試験したという。
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