森本城
もりもとじょう
城主;森本氏、
森本飛騨守
築城時期;不明
住所;松阪市森本町向山
遺構;山門の北西に幅6m~10m、高さ1m~2mの土塁状 細い空堀、
祠跡、泉
経緯;伊勢平野の中央部から北畠氏の居住する多気までの道は3本あるが
米を運ぶ主要な道は森本城を経由する白口峠越えコースと言われてい
る。森本城は伊勢米輸送路線の監視、防衛のために築かれていると言
われる。木造顕俊の次男俊重が多気城(霧山城)の支城として築城し代
々飛騨守を名乗った。
森本氏は士15人、兵50人の大将で永禄12年(1569)大河内城籠城
にも参加した。天正12年(1584)の松ヶ島城の戦いで木造勢として助勢
したが討死した。その子俊貞彦一郎は三瀬入道滅亡後栃川村に引き籠り
称念寺を建立し国司一族を弔った後寛永7年(1630)正月に死去した。
子孫は土着し川俣谷(かばただに)に住んだと言われる。
感想;城は東西130m、南北280mと大規模な方形居館であり北畠氏が中
村川流域を支配するための拠点としたことが想像される。対岸の滝之川城
が近辺で最も複雑な構造を持つ城であり森本城とセットで考えるのが
わかりやすい。
地図;
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