三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

白山城

2017-08-07 23:08:24 | 松阪の城

白山城

はくさんじょう

住所 三重県松阪市西野町
築城年 不明(永禄12年頃か)
築城者 不明(北畠家臣か)
形式 山城 標高90m 比高40m
環境  小河内城に向かう北からのルートを法淨寺川を挟んで防御する。対面に岡ノ谷城があり有機的な連携があったと考えられる。
遺構 郭、堀切 (開発によって北側・主郭部分は無くなっている)
   残った南側は無くなった主郭南の堀切+竪堀から南端の堀切まで約90mが残っているが途中の尾根筋はほとんど自然地形に近い。数か所、人の手が入ったと思われる場所があるが未完成のようにも見える。
   それらはプリン型郭、郭中心部にある石組、郭直下の小さい郭、帯郭、東尾根筋を守る虎口か土橋である。南北両端の堀切は完成状態とするとその間の区域はこれから本格的に整備する途中ではなかったのだろうか。何かの事態で工事途中で白山城の整備は終わってしまったのではないだろうか。
   そして数百年の時が流れた今日、完成していただろう主郭部分が開発の工事で無くなり、工事の途中で捨て置かれたであろう南部分が残っている。なんとも残念なことである。これは何を示唆しているのだろうか。
規模 当初(南北160m×東西50m) 現在(南北90m位×東西50m)
経緯 平成10年3月教育委員会により発掘調査
書籍

(追記;下村登良男氏、中世城館と北畠氏の動向より) 信長公記に「滝川左近人数入れ置き是よりわきわきの小城へはお手遣いもなく直ちに奥へ、、、とある。小城というのは岩内城、伊勢寺城、奥野城、岡ノ谷城、白山城辺りを言っているのでしょう。つまり北畠側から抵抗が無かったので、そこへ軍勢を遣ることもなく、まっすぐ大河内城へ向かったということです。(永禄12(1569)年8月27日)

一族  白山城の東南500mに園館があったと伝わり城主か城代であった可能性もある。
地図

 

感想 2度目の訪城は松阪山城会のメンバーとしてであった。世話役方のご指導で楽しく有意義に時間が経っていった。知らなかったこともあってワクワク感もあった。1度目の5年前よりは多少の訪城経験も増し同じ白山城であっても新鮮な気分であった。ただ、暑い時期はこれ以上アクティブにはできないかも。



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