住所 |
三重県松阪市西野町 |
築城年 |
不明(永禄12年頃か) |
築城者 |
不明(北畠家臣か) |
形式 |
山城 標高90m 比高40m |
環境 |
小河内城に向かう北からのルートを法淨寺川を挟んで防御する。対面に岡ノ谷城があり有機的な連携があったと考えられる。 |
遺構 |
郭、堀切 (開発によって北側・主郭部分は無くなっている) |
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残った南側は無くなった主郭南の堀切+竪堀から南端の堀切まで約90mが残っているが途中の尾根筋はほとんど自然地形に近い。数か所、人の手が入ったと思われる場所があるが未完成のようにも見える。 |
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それらはプリン型郭、郭中心部にある石組、郭直下の小さい郭、帯郭、東尾根筋を守る虎口か土橋である。南北両端の堀切は完成状態とするとその間の区域はこれから本格的に整備する途中ではなかったのだろうか。何かの事態で工事途中で白山城の整備は終わってしまったのではないだろうか。 |
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そして数百年の時が流れた今日、完成していただろう主郭部分が開発の工事で無くなり、工事の途中で捨て置かれたであろう南部分が残っている。なんとも残念なことである。これは何を示唆しているのだろうか。 |
規模 |
当初(南北160m×東西50m) 現在(南北90m位×東西50m) |
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