岡ノ谷城
おかのたにじょう
築城時期 | 不明 |
城主 | 不明 |
形状 | 山城 標高80m 比高33m |
遺構 |
郭、空堀、二条堀切、竪堀 |
大河内城の西南1㎞の山頂に脇谷城と泉ケ久保城、北東2.5kmの山頂に立野城と薗城が大河内城に東西から向かう谷筋を押える位置に出城的に配されている。更に北からの押えとして白山城と岡ノ谷城が、付随して西野城、奥野城が配置されている。 |
更に西の峠道を守る坂内城、根木峠の南入口を守る上山城、南西の峠入り口を守る六呂木城が配置されている。これら全部で11城が大河内城を守った、という考え方ができるのかもしれない。 |
感想 |
観音寺へ車を置かせてもらい背後の山に入る。入口は草刈整備され雰囲気はいい。すぐさま浅間山と思われる祀られた石と大木に出迎えられる。 |
200mも歩くと目の前に岡ノ谷城の姿が現れる。プリン型の単郭の前に空堀がおかれている。今登った東尾根道からの防御である。 |
空堀の外側には空堀と同程度の長さで幅は狭い帯郭状の形状が見られる。通常は道としてのかもしれない。 |
左に回ると竪堀が形よく残されている。そして西尾根からの防御としてこの城一番の見どころ、二条堀切がこれまたきれいに残っている。 |
堀切の底を通って北に向かうと雑木林で見通しが効きにくいが浅い竪堀が確認できる。西尾根からの防御に重点を置いた縄張りである。 |
単郭に登る。狭い。土塁らしき高まりは確認できない。上段と下段に分かれている。人数にして20~30人、多く見積もっても50人までではなかろうかと思う。 |
今回は松阪山城会のメンバーとして初参加の訪城である。この城は2011年3月以来2回目の訪城だ。仲間と来るとまた楽しいものである。 |
地図 |
(追記;下村登良男氏 中世城館と北畠氏の動向より) 信長公記に「滝川左近人数入れ置き是よりわきわきの小城へはお手遣いもなく直ちに奥へ、、、とある。小城というのは岩内城、伊勢寺城、奥野城、岡ノ谷城、白山城辺りを言っているのでしょう。つまり北畠側から抵抗が無かったので、そこへ軍勢を遣ることもなく、まっすぐ小河内城へ向かったということです。(永禄12(1569)年8月27日) |
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