乙栗子砦(おとぐるすとりで)
勢陽五鈴遺響の記述内容
「同処にあり、天正4年北畠具親 川俣挙兵の時 乙栗栖平八郎属す 同5年多羅木峯城に挑戦す舎兄峯某生害す日置次大夫か為に虜となる 此の時より廃絶す 乙栗栖平八郎真善院名録に載たり 今居宅の旧墟および歴代墓存せり」
とある。古くは乙栗栖と表記されているが新しく乙栗子となっているものはそれに従った。
砦の主;乙栗栖平八郎
築城時期;不明
落城時期;天正五年
住所;三重県松阪市飯高町乙栗子
位置づけ;不明
経緯;勢陽五鈴遺響に記述の通り
川俣挙兵;現飯高町の櫛田川沿い山間・谷部の諸将が呼応して北畠具親に助成した
多羅木峯城;現飯高町太良木と落方の境にある標高506mの峯氏城主の城
峯氏(兄)乙栗栖平八郎(弟)は捕縛され織田信雄に火あぶりの刑に処される
感想;乙栗栖の在所は四方を高い山が取り囲み砦があっただろうと思われる場所を推定す るのは難しい。やみくもに探索するには危険すぎる。
地図;
<!-- 乙栗子砦 -->
PS 平成29年5月18日 再訪
松阪山城会にて現地を推定した。
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