小さなことからコツコツと

楽しい生活は自分で作りたい!

愛ちゃん、明日も頑張って!

2004年08月16日 | 卓球
昨日は、愛ちゃんの卓球の試合がいつ始まるかとテレビの前で待ち構えていた

新聞に書いてあった時間よりやや遅れて始まり、(実はその前に7ゲーム目の途中で中継され結果を知っていたのだけれど)7ゲームしっかり観戦した。

悲しいけれどボールのスピードについていけない。カメラの位置によって見たい場所・部分が見えないなどと一人でブツブツ。

久しぶりに卓球の試合を見た方は、コートや台の色にもビックリしたのでは。ボールもチョット前はオレンジだったのにまた白に戻ったのかなぁ。

とにかく、最後まで集中力を持ち続けた愛ちゃん、スゴイ。自分がポイントをとっても表情が緩むことはなかった。

次の試合も最後まで目いっぱい頑張って欲しい。
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本日の収穫

2004年08月16日 | 畑 歳時記
しばらく畑に行かなかったので荒れているだろうなぁと思っていたけれど

茄子は新しい実をつけ、カボチャも無事、ただ急に冷えたせいか種を取ろうと思っていたミズナはいつの間にか枯れてほとんど姿もなくなっていた。

実がならなかったトウモロコシを抜きあとにボカシ(野菜のくずを使った肥料)を埋めた。(メモしておかないとまた同じ場所に埋めたりしてしまう)

収穫したのは

 キュウリ 1本

 オクラ  6本

 ミニトマト15個

せっかくなのでヤワラちゃんと記念写真。
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マクワウリ

2004年08月16日 | 畑 歳時記
畑の一番北側に植えていて、そのうえ南側にシソがしっかり生えていたので日当たりが今ひとつ

今日になってあわててシソを抜いた。バッタには申し訳ないけれどせっかく実ったウリが熟すまでなんとか少しでも居心地をよくしてあげないと。

カメラをむけると娘がすかさず手を出しました。大きくなったらこのポーズも変えてと言おうかな。

ただいま鶏卵大の大きさ。
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深夜のドキュメンタリー

2004年08月16日 | Weblog
アテネオリンピックの番組をあれこれ見ていたら0時をすぎてしまった

そのお陰で普段は見ていなかったドキュメンタリー番組を見ることが出来た。

日本テレビ「ドキュメント’04 放火から一年・・折り鶴180万羽の思い」

広島で記念公園などにあった折り鶴が焼かれたというニュースは頭の片隅にはあったけれど、その後のことは何も知らなかった。
たくさんの人が善意で無くなった鶴のことを悲しんで折り鶴を作り、寄せられた鶴が180万羽にもなったらしい。

中でも心に残ったのは小さいときにご両親をなくされた方の体験談;先に亡くなったお父さんをお母さんが川原で焼いたという、数日後そのお母さんも亡くなり子供たちだけでお母さんがそうしたように亡骸を焼いたという話を聞いて自分も一緒に泣いてしまった。

番組すべてを見たわけではないので記憶も途切れ途切れだけれど戦争を体験した方だけでなくその話を聞いた人、子供と一緒に鶴を折った人、とにかくたくさんの人が鶴を折り平和への願いを託している。

子供たちに話して行くことが一番だと感じた。

・・相変わらずの下手な文章で上手く表現できませんが、最後まで読んでくれてありがとうございました・・

コメント (2)
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終戦記念日の夕焼け

2004年08月16日 | Weblog
正直なところ小さいころに周りの大人から戦時中の話をあまり聞かなかったような気がします、今思えば残念なことをしました

オリンピックで日本の選手が活躍し盛り上がっているので終戦記念日だったことをすっかり忘れていました。

朝から冷たい雨が降っていて午後から上がりました。今まで空を撮ったことは無かったのですが、窓ガラスがピンクに染まっていたのでカメラを持って外へ。

子供たちは時間は関係なく薄暗い中で楽しそうに遊んでいました。こうやって子供たちの笑い声を聞けることが平和ということではないかと思います。

日頃、世界中では食事もできず、学校へも行けない子がたくさんいると子供たちに話してもなかなか実感されません。それはそうでしょう、私たちにはそういう経験がないから。想像してといっても難しいことだと自分も思います。

とても怖かったことは何か、自分の胸に手を当ててみました。

1995年の1月17日に阪神大震災がありました。事情があって大阪にいたので早朝地震で目が覚めました。テレビを点けても正確な情報が無く時間とともにスゴイ地震だったことがわかる、そして余震が次々ときてそのたびにドキドキして。

幸い家族全員とも怪我も無く翌日千葉へかえるということになったのですが、私鉄を乗り継いで新幹線に乗ろうと京都駅に出ました。

ホームで新幹線を待っていると疲れた様子のサラリーマンの方がブツブツと独り言を言いながらやってきました。

私たちに話していたのかどうかもわからなかったけれどその表情が今まで見たことも無いような怖い、生気の無い表情で近寄りがたいというか表現しにくいのですが、人のそんな表情をみたのはそのとき限りです。

その方はずっと歩いてきたと言っていました。どこも目茶目茶だと、あとは良く覚えていないけれど言い表せないほど大変な体験をされたのだと思います。

天災と戦争は違います

戦争は避けることが出来るはず

やめてといい続けるしかありません



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