重粒子線治療患者の生きた証し by imas

前立腺ガン患者の平凡な日々を綴ります

墓参り

2011-12-10 23:48:02 | 思い出
父の命日

寒い日が続きますね。実家の周りの畑は一面霜がおり、真っ白です。




今日は平成20年12月10日(水)午前4時16分に他界した父の命日です。

仕事に行く前に、墓参りしてきました。




神奈川・寒川に単身赴任して2年目の平成20年12月10日の明け方に、

姉よりの電話で、父の死を伝えられてから、もう3年が経ちました。

普段では電話がなっても気がつかない程の熟睡状態ですが、当日は虫の知らせでしょうか、

たぶんワンコールで起きたと思います。

何故か冷静で、冷蔵庫の中を確認して、クーラーバックに生ものを入れて持ち帰った記憶が

鮮明に残っています。


父への想い

記憶が残っている小学校時代は、夏にバイクの後ろに乗せもらって、カブトムシを取りに行ったこと。

大工仕事に行く前に、近所の家で朝のお茶を一緒に飲んだこと。

私が喘息もちで、病弱であったので、休みの日に鱒釣りにいって、塩焼きにしてもらって、夕食にした事。

チャボを飼う為に、鳥小屋が欲しいと泣いてせがんで、休日返上で作ってもらった事。

小学生の時は父親の後をよく追ったものですが、中学になると、口数も少なくなり

高校、大学と歳をとるにしたがって、会話もなくなりました。(男同士は仕方ないのでしょうね)


孫(長男)を我が子以上の愛情で育ててもらいました。

家内も仕事をしていた為に、朝起きぬけで、長男を実家に送り届け、夕方に迎えに行くときには、

入浴も済ませて、あとは寝かせつけるだけにしてもらいました。

離乳食も、煮干しから出汁をとって、無農薬の野菜で作ってもらいました。

ほんとに頭が下がります。はたして、自分には同じことができるでしょうか?(たぶん無理です)


明治と昭和に挟まれた大正生まれ、青春時代を戦争、敗戦とつらい時代の世代で、

仕事一図で、道楽もしないで、家族の為に働きづめでした。

ここまで、自分を育ててもらってほんとにありがとうございました。

孫4人、曾孫3人に恵まれた事を誇らしげに語った事が懐かしく思われます。

もう少し、親子の会話をしておけばとよかったと悔いが残ります。


花物語

 

父が好きだった水仙と福寿草

早く春がきてほしいです。


おまけ

本日は皆既月食です。



苦労しましたが、やっと撮れました。