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ハロウィン  聖書の教えではありません。

2016年10月28日 | 日記

2014-10-28の再掲


「ハロウィン」の語源は、カトリック教会で11月1日に祝われる「諸聖人の日」(古くは「万聖節」とも)の前晩にあたることから、諸聖人の日の英語での

旧称"All Hallows"のeve(前夜)、"Hallows eve"が訛って、"Halloween"と呼ばれるようになったとされている。

諸聖人の日
一 年のうちのある一日にすべての聖人と殉教者を祝う習慣が始まったのは4世紀ごろであった。もともとこの習慣はアンティオキアで始まったようである。

アン ティオキアではペンテコステのあとの最初の日曜日が諸聖人の祝日となっていた。

ヨハネス・クリュソストモスの407年の説教の中にも諸聖人の祝日への言及 がみられる。アンティオキアなど東方で行われていたこの習慣が、

西欧に伝わったものが、諸聖人の日とされる。



諸聖人の日は、7世紀頃までは5月13日に祝われていたが、ケルト人が自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗する過程で

ケルトの収穫祭に合わせてカトリック教会が諸聖人の日を11月1日に設定したとされている。

カトリック教会では諸聖人の祝日は祭日としているが、10月31日のハロウィンは祭日ではなく典礼暦(教会暦)にも入っておらず、教会の宗教行事・公式行事

として行われることはない。

カトリック教会を含めキリスト教の多くの教派・教会では、信徒が民間行事として楽しむことを容認しているが、キリスト教本来の習慣ではないので

プロテスタントでは多様な見解があり、いくつかの福音派は否定的である。

~ウィキペディア~

 

 

 

 


あの日大川小学校で何が起きていたか 津波が迫る中で教師達は権力闘争~世界のニュース トトメス5世~

2016年10月28日 | 日記

 

【クリック】
あの日大川小学校で何が起きていたか 津波が迫る中で教師達は権力闘争



一部引用

地震の3分後の2時49分に津波警報が出され、消防団と役場の広報車数台が出動して、スピーカーで高台への避難を呼びかけました。

広報車を運転した一人は少なくとも2回、大川小学校の前まで行って避難を呼びかけ、2回目には車を降りて教師らを説得しようとしたが教師らは耳を傾けなかったという。

生徒を校庭に座らせたまま大川小学校の教員11名は2派に分裂して避難派と待機派に別れ、果てしない論争を繰り返していた。


大川小学校の100mほど裏には裏山と呼んでいた高台があり、そこに上って避難するべきだという意見が出された。

だが教師の一人と”自治会”あるいは保護者の一人が「山に登って生徒が転んで怪我をしたら、誰が責任を取るんだ」と強硬に反対して責任論を展開した。

このとき現場にいた教頭は最初裏山への避難に同意していたとされるが、強硬派を説得できずに議論を続けた。



ある子供は避難を呼びかける町内放送が聞こえていて、広報車が怒鳴っているのも何度も聞こえたので、数人の児童が裏山に駆け出して、一旦は避難したと証言した。

だが反対派の教師達は山の上まで子供たちを追いかけて引きずり下ろし、全員を校庭に集めて怒鳴りつけていた。

ある生徒は「ここに居たらみんなしぬんだよ!何で先生は分からないの」と泣きじゃくり、ほとんどの生徒が泣きながら怯えていたと証言しました。