高島屋元取締役・石原一子氏に学ぶ
日本初の女性役員はどうやって昇進したか
https://president.jp/articles/-/29220
一部引用
「経済は女にはわからない」という偏見
学界、官界よりも、なお、いっそう女性に厳しく門戸を閉ざしたのが日本の実業界だった。
経済は女にはわからないという社会通念が蔓延しており、その上、
日本の会社組織は軍隊に模された徹底した男社会であって、女性たちの参入を拒否してきたからだ。
軍隊に女はいらない――。上司の命令は絶対でタテの上下関係が何よりも重んじられる。
そんな日本型企業は男だけの戦場であり聖域であって、女は就職しても結婚までの腰かけの状態と見なされ、
同等の戦力としては受け入れてもらえなかった。
男女雇用機会均等法ができる前まで、女性を正社員として男性と平等に雇う会社は、ほとんど皆無。
入社させても極めて限定された補助的な仕事を短期間のみ任せ、定年までは働かせない。
そうした日本社会で役員にまで上りつめたのが高島屋百貨店に入社して常務取締役になった、石原一子である。
高島屋において、もちろん初の女性役員であったが、日本の歴史においても創業者の血縁でなく一部上場企業に女性役員が誕生した、初めてのケースだった。
彼女の役員就任は画期的なニュースとして、マスコミに大きく報じられた。昭和五十四(一九七九)年のことである。
その後、石原は女性として初めて経済同友会にも迎えられる。
働く女性への偏見が強かった時代に、石原は、ひとりで岩盤を砕き続け、その存在は働く女性たちにとって天に輝く星であった。
理不尽な妨害にも屈せず「働き続ける」
周囲の偏見をものともせず、「働き続ける」ことを選んだ石原の、パワフルな行動力の源泉、それは彼女の前半生に起因する。
満洲に生まれ、日本で教育を受け、敗戦を経験し、民主主義の到来を喜んだ。
様々なことを青春時代に彼女は経験し、独自の人生観、仕事観を抱くのである。
高島屋で販売員から常務取締役となったが、その過程では男性社会の中を生きる、
たったひとりの女性として理不尽な妨害にも遭った。
だが、そうした苦境に屈することなく、退社後も彼女は自分が実社会で培った経験と能力を今度は、
一市民としての生活のなかで余すところなく生かしもした。
自分が暮らす国立市で起こったマンション建設をめぐる反対運動では、多くの人が尻込みをするなかで代表を引き受け、矢面に立って闘ったのだ。
「企業社会から市民社会に身を移して、改めて日本企業の、日本企業に働く人間の問題点にも気づいた」と本人は語る。
「部下の昇進は自分のこと以上に考えた」
管理職になり、部下の指導にいっそう励んだ。様々に工夫した。
子どもを持ったことのない販売員が説得力のある商品説明をするためには育児体験が必要だと考えて、
石原は愛育病院に一カ月に一度、研修生として部下を派遣することにした。
病院で子どものおむつを替えたり、風呂に入れる実習を積ませてもらったのだ。
朝礼では売り上げ目標を数値で言うようなことはせず、自分が感動した本や映画の話をした。
とりわけ八割を超える女性販売員に向けて、「女性にこそチャンスがある職場だ」というメッセージを送り続けた。
「女に管理職は無理だ」と公然と言われることもあったが、石原は気にしなかった。
「私は部下の昇進は自分のこと以上に考えた。この人は将来、百貨店を背負っていく人だと思ったら、きちんと評価した。
私と一緒に仕事していると厳しいけれど勉強になるし、頑張れば評価もされる、そう思われる上司でありたかった。
百貨店の社員に必要なのは、センスと決断力。それなのに、男性社員だけにそういうことを求めて、女性社員には少しも求めない。
それで男だけを出世させていくわけ。そんなシステムは、もう終わりにしたかった」
私はあなたが思っているほどバカじゃない
結婚をして、出産をして、なおかつ出世街道を歩む女、石原を快く思わない勢力も社内にはあった。
だが、気にしても仕方がない。
石原はただ、いいと思ったことを単純に貫いていった。自己主張をし、自分の居場所を自分で切り拓いた。
「夫が九州の朝日新聞西部本社に代表として赴任することになった。
それを知った社長から『君も九州の高島屋に異動させてあげようか』と言われたことがあったけれど、私は即座に断った。
夫の異動のために自分も赴任地に異動するという考えは私の中に、まったくなかったから。
大陸で育ったこともあり、男尊女卑的な日本の価値観を知らなかったからね。社会に出てからは驚くことばかり。
あんまり女だというだけでバカにする相手には、こう言ってあげた。『そう、あなたの周りには利口な女性がいなかったのね』。
このひと言に相手がびっくりしているところへ、『私はあなたが思ってるほどバカじゃありません』と重ねて反論するの」
昭和五十(一九七五)年には東京支店次長、昭和五十二(一九七七)年には理事(役員待遇)になった。
石原の立場が上がるにつれ、やっかみの声は大きくなった。
「女の出世に対して、あれこれ言われたとしても、全部無視すればいい。気にしたってしょうがないし、
第一、敵はこちらを落ち込ませようとしているわけだから、落ち込んだら負けでしょ。
女は組織には向かないだとか、管理職には向かないだとか、男たちは言いたがる。言わせておけばいい。
本当は単にライバルが増えるのが嫌なだけ。女性は自分の下にいて、競争相手にはならない存在であって欲しいというのが彼らの本音よ。
女の人がなぜ出世できないかって? それはできないようなシステムになっていたからよ。女の能力とは無関係よ」
女性の覚悟も必要
その一方で、男性たちから低く見られてもしかたのない一面が女性たちの側にもある、と歯がゆくも感じていたと語る。
「女も仕事をきちんとして、評価をされるように訴えないと。男の人に嫌われたらどうしようとか、そんなことを考えて遠慮しているようではダメですよ。
それから仕事に対して、きちんとした覚悟を持っていないといけない。だいたい大学卒の優秀な女性が入ってきても、
みんなよく辞めていく。仕事に対するイメージが薄いし、家庭との両立をどうしようという気持ちもない。
初めから結婚したら辞めようと思って働いている。それでは会社も戦力とは考えられない。
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