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【山梨県】第47回信玄公祭り・甲州軍団出陣(動画は2017年)

2018年04月06日 | 日記

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信玄公祭り~世界最大の武者行列~/信玄公祭り~世界最大の武者行列~
第47回(平成30年度)信玄公祭り


平成30年4月6日(金)~8日(日)

戦国の名将「武田信玄公」いま蘇る

信玄公の館跡つつじヶ崎(現在の武田神社)の桜がさきほこる春4月、甲府盆地には「風林火山」の旗がはためき、いっきに戦国時代にタイムスリップします。
信玄公の命日4月12日を中心に山梨県内の各地では、その遺徳を偲ぶさまざまな信玄公の祭りが行われます。
甲府市中心部を会場に行われる「信玄公祭り」は例年、命日(4月12日)の前の金~日曜に盛大に開催され、土曜日の夕方からは、県内各地から1,000名を超える軍勢が舞鶴城公園に集結し、川中島に向け出陣する様子を再現します。

その規模は世界最大級!
もえさかるかがり火のもと、信玄公をとりまく勇猛果敢な武田二十四将とともに執り行う出陣の儀式・三献の儀から「風」「林」「火」「山」の各軍団の出陣へと、華麗ななかにも勇ましい一大戦国絵巻がくりひろげられます。(雨天決行)

 

【主な催し】 「湖衣姫祭り」

 

 

【湖衣姫】

諏訪御料人(すわごりょうにん、享禄2年(1530年)? - 弘治元年11月6日(1555年12月18日))

武田晴信(信玄)の側室で武田勝頼の母。諏訪頼重と側室の小見(麻績)氏の娘(太方様)。
諏訪御「寮」人とも表記される。

 

異母弟には、頼重の後室の禰々の産んだ寅王がいる。実名が不詳で、史料上においては諏訪御料人(御寮人)・諏訪御前(いずれも貴人の女性を指す尊敬語)と記されている。

 

 

小説の影響

武田信玄最愛の妻というのが通説であるが、この従来の説にはかなりの疑問がある。
そもそも小説・ドラマなどの演出によってそのイメージが形成されたといえる(逆に正妻である三条の方は悪妻とのイメージが作られている)
が、彼女の人物像を伝えるような史料は存在しない。

信玄が正室三条の方と不仲であり、諏訪御料人と勝頼を溺愛したため、正室との他の息子たちを差し置いて勝頼に武田家相続をと考え、
ついには勝頼が武田家を継ぐことになった、という説であるが、これは三条の方との息子の武田義信、海野信親、武田信之が
それぞれ信玄との対立(いわゆる義信事件)、失明、夭折という理由のため家督を継ぐことができなくなった結果と考えるべきであろう。
信玄は、武田家の通字「信」を勝頼には与えておらず、諏訪家の通字「頼」を名乗らせていることから、初めから勝頼には諏訪家を継がせるつもりだったと思われる。

 

武田信玄・勝頼父子を扱った時代小説や時代劇にはしばしば登場するが、実名が不詳であるため、
新田次郎の小説『武田信玄』では湖衣姫。
諏訪湖とそこに流れ込む衣之渡川に因む。

 

井上靖の小説『風林火山』では由布姫(ゆぶひめ(大河ドラマ版ではゆうひめ)。
井上が執筆のため滞在した由布院に因む)と作中名が付けられている。

~wikipedia~