神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

池上線  西島三重子

2020年02月09日 | 日記

池上線  作曲・歌、西島三重子

作詞家・佐藤 順英 
代表作「池上線」は、国連職員を目指しハワイ大学に留学しながら、日本に残し遠距離恋愛をしていた恋人との別れをモチーフとして書いた作品。


作詞家の佐藤順英が書いた詞に、佐藤のバンド関係の知人だった西島が曲を付けた。
だが西島は自分で歌う予定ではなく、当時「私鉄沿線」がヒットした野口五郎が歌うイメージで作曲したと述べている。
また佐藤は「この曲を世に出したくて作詞家になったようなもの」と、曲に対する意気込みと思い入れを語っていた。

1976年のシングル発売時に、この曲のプロモーションのため東京急行電鉄に協力を依頼したが、歌詞の中に「古い電車」「すきま風に震えて」という、
当時の池上線の車両の古さや状態の悪さを思わせる言葉があったため、歌詞を見た東急側に「車両更新を考えているため会社の方針に合わない」として断られたと、佐藤は語っている。

 

2000年代に入ると、東急社内でのこの曲に対する評価も大きく転換することになる。

その背景には、曲そのものがロングセラーとして愛唱されたこととともに、時代の流れによる価値観の変化もあった。
「池上線」の歌詞が問題視された高度成長後の1970年代においては、新しいものが良いもので、
古いものは遅れて劣った淘汰されるべきものとみなされていたが、その後のレトロブームなどで古いものの良さや味わいが見直されてきた。

東急池上線も「都心を走るローカル線」としての魅力がクローズアップされ、駅舎リニューアルの際も木造駅舎を活かし、沿線商店街の街並みと調和したレトロ調のデザインが採用された。
また池上線・多摩川線を走る1000系で、デハ3450形の塗装を復刻した「きになる電車」ラッピング車両に続き、初代3000系の塗装を復刻した「緑の電車」ラッピング車両を走らせるに至った。
「池上線」の歌詞で「古い電車」として歌われた(その歌詞が問題視された)車両が、復刻ラッピング車として池上線に「復活」したのだ。

2007年7月から翌2008年6月にかけて東急電鉄では、東急池上線・大井町線開通80周年を記念して、沿線自治体の品川区・大田区や地元商店街などと
「池上線・大井町線80周年記念プロモーション実行委員会」を結成、地域で一体となったプロモーション活動を展開した。

その一環として、池上線で2007年12月16日に1編成を貸切とした特別列車を2本運転、うち1本を「名曲池上線号」として、西島三重子の車内ミニライブとトークショーを開催した。
「名曲池上線号」には、池上線80周年記念ロゴのヘッドマーク[6]を掲げた1000系 (1012F) が使用され、戸越銀座商店街のマスコットキャラクター「銀ちゃん」も同乗した。


リリース当時の東急との経緯があったため、この車内ライブの実現に際して西島は「不思議な感じがした」と語っている。
また、西島の車内ライブを企画した東急電鉄エリア開発事業部の担当者(当時27歳)は、前回の経緯を全く知らずに西島に出演を依頼したため「今度は大丈夫ですか?」と聞かれて驚いたという。
実に、1976年の発売から30年余を経た21世紀になって、東急からも晴れて「池上線の名を全国に広めた "名曲" 」として認められたことになる。

~wikipedia~