ソロモンの試した事柄
『わたしは,わたし自ら心の中で言った,「さあ,来なさい。歓びをもってお前を試そう。また,良いことを見よ」と。だが,見よ,それもまたむなしいことであった。
わたしは笑いに向かって,「狂気だ!」,歓びに向かって,「これは何をしているのか」と言った。
わたしはぶどう酒で自分の肉体を元気づけることにより,心を用いて探究した。そうしながらも,わたしは知恵によって自分の心を導くのであった。
それは,人間の子らがその命の日数の間に天の下で行なうことに,彼らにとってどれほどの良いことがあるかを見ることができるようになるまで,わたしが愚行をとらえて置くためであった。
わたしはより大きな仕事に携わった。自分のために家々を建て,自分のためにぶどう園を設けた。自分のために園や庭園を造り,その中にあらゆる種類の果樹を植えた。
自分のために水の溜め池を作った。それによって,樹木の生え出る森林に水を注ぐためであった。わたしは下男やはしためを得,家の者の子らを持つようになった。
また,畜類,すなわち非常に多くの牛や羊を持つようになった。わたしより先にエルサレムにいた者すべてに勝ってである。わたしはまた,自分のために銀や金を,そして王たちと管轄地域に属する特殊な財産をためた。
わたしは自分のために男の歌うたいや女の歌うたいたち,また人間の子らの無上の喜び,つまり淑女,淑女たちをも設けた。そしてわたしは,わたしより先にエルサレムにいただれよりも大いなる者となり,増し加わった。
しかも,わたしの知恵はわたしのものとしてとどまったのである。
そして,わたしは自分の目が願い求めるものは何物をもそれから遠ざけなかった。わたしは自分の心からどんな歓びをも差し控えなかった。
わたしの心は,わたしのすべての骨折りのゆえに喜びに満たされたからである。これはわたしのすべての骨折りによるわたしの分となった。
そしてわたし自身,自分の手の行なったすべての業と,成し遂げようとして自ら骨折って働いたその骨折りを振り返って見たが,見よ,すべてはむなしく,風を追うようなものであり,日の下には益となるものは何もなかった』。
(伝道の書 2:1~11)
『私は心の中で言った。「さあ,楽しみとやらを経験してみよう。どんなに楽しいものなのか」。しかし,それもむなしいことだった。
私は笑いについて「狂っている!」,楽しみについて「何の役に立つのか」と言った。
知恵を保ちながらもぶどう酒を存分に飲み,それが楽しいかどうかを試してみた。また,愚かなこともして,人が地上での短い生涯で何を行うのが最善かを知ろうとした。
私は大きな仕事に取り掛かった。自分のために家を建て,ブドウ園を造った。自分のために庭園や公園を造り,その中にあらゆる種類の果樹を植えた。
自分のために池を造った。そうして木の茂る木立に水を引くのだった。 私は男女の召し使いを得た。私の家で生まれた召し使いもいた。また,これまでにエルサレムを治めた誰よりも多くの,牛や羊といった家畜を得た。
私は銀や金を自分のために蓄え,王たちや州が所有する宝をためた。自分のために歌手の男女と,人を大いに喜ばせる存在つまり女性,それも大勢の女性を集めた。
こうして私は偉大な者となり,これまでにエルサレムにいた誰よりも優れた者となった。そして知恵はずっと私のものだった。
私は自分の願いを何でも満たそうとした。どんな楽しみも心の赴くままに求めた。一生懸命に働き,心には喜びが生まれた。この喜びこそ私が一生懸命に働いて得た報酬だ。
私は,自分の手で行った全てのこと,苦労して成し遂げたことを振り返ってみた。すると,全てはむなしく,風を追うようなもので,この地上に本当に価値のあるものは何もなかった』。
(伝道の書 2:1~11)