世界中から偏見がなくなる ― いつ? Ⅳ
神の王国が偏見すべてをなくす
強い感情を制するにも捨て去るにも聖書の知識が助けになるとはいえ,偏見を完全になくすためには,ほかにも取り組まなければならない問題が二つあります。
一つは,人間の不完全さと罪です。聖書ははっきりと,「罪をおかさない人はひとりもいない」と述べています。
「彼らがあなたに対して罪を犯した場合(罪を犯さない人は一人もいません),あなたが憤って彼らを敵に渡し,彼らが捕らえられて,遠くであれ近くであれ,敵の土地に連れ去られ」
(列王第一 8:46)
ですから,わたしたちは,いくら努力しても過ちを犯してしまい,「自分では正しいことをしたいと願うのに,悪が自分にある」と書いた使徒パウロと同様の葛藤を経験します。
「私には次の法則が当てはまります。正しいことをしたいと願うのに,自分の中に悪がある,ということです」。
(ローマ 7:21)
時々,不完全な心に促されて,偏見につながる「害になる推論」をしてしまうのは,そのためです。
「中から,つまり人の心から,有害な考えが出てきます。性的不道徳,盗み,殺人」
(マルコ 7:21)
二つめに,悪魔サタンの影響があります。聖書によれば,悪魔は「人殺し」で,「人の住む全地を惑わして」います。
「あなた方は,あなた方の父,悪魔から出ていて,自分たちの父が欲することを行おうとしています。その者はその始まりから人殺しで,真理から離れました。真理を好まないからです。彼にとって,うそを語るのは自然なことです。うそつきで,うその根源だからです」。
(ヨハネ 8:44)
「こうして,大きな龍は投げ落とされた。あの初めの蛇で,悪魔サタンと呼ばれ,全世界を惑わしている者である。彼は地に投げ落とされ,邪悪な天使たちも共に投げ落とされた」。
(黙示録・啓示 12:9)
だからこそ,世界中に偏見がはびこり,人類は偏狭,差別,集団虐殺など,異なる人種や宗教や社会的階層に対する不寛容を前にして非常に無力なのです。
ですから,偏見が全くなくなるためには,人間の罪と不完全さ,および悪魔サタンの影響が除かれなければなりません。
聖書は,神の王国がまさにそのことを成し遂げる,と教えています。
イエス・キリストは,神に「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」と祈るべきことを弟子たちに教えました。
「あなたの王国が来ますように。あなたの望まれることが,天と同じように地上でも行われますように」。
(マタイ 6:10)
神の王国こそ,あらゆる不寛容や偏見を含め不公正すべてをなくすための手段なのです。
神の王国が来て地上の物事を掌握する時,サタンは『縛られ』つまり完全に拘束されて,『諸国民を惑わすことができなく』なります。
「その天使は,あの初めの蛇である竜,悪魔サタンを捕らえて,1000年間動けないように縛った。そして竜を底知れぬ深みに投げ込み,そこを閉じて封印し,1000年が終わるまで竜がもはや人々を惑わさないようにした。
その後,竜はしばらくの間解放されることになる」。
(黙示録・啓示 20:2,3)
その時,「新しい地」つまり新しい人間社会が実現し,そこには「義が宿ります」。
「しかし,私たちが神の約束によって待ち望んでいる,新しい天と新しい地があります。そこには正しいことが行き渡ります」。
(ペテロ第二 3:13)
義にかなったその人間社会に住む人々は,やがて完全になり,罪から解放されます。
「創造物も腐敗への奴隷状態から自由にされ,神の子供の輝かしい自由を得るという希望です」。
(ローマ 8:21)
神の王国の臣民として,『害することも損なうこともしません』。なぜなら,「地は必ず神(エホバ,ヤハウェ)についての知識で満ちるから」です。
「わたしの聖なる山においては,何ものも害を加えず,滅ぼすこともない。水が海を覆っているように,大地は主(神)を知る知識で満たされる」。
(イザヤ 11:9)
その時には,すべての人が神の道を学んで,神の愛あるご性格に倣います。
それによって,まさしくすべての偏見がなくなるのです。「神に不公平はないからです」。
(ローマ 2:11)