2020年06月01日の再掲
栄養の宝庫「納豆」
納豆は、冷凍保存にすれば
「賞味期限内で召し上がっていただきたいというのが基本ですが、3ヵ月~半年程度でしたら問題なくお召し上がりいただけると思います」
(全国納豆協同組合連合会)
冷凍されたら納豆菌はどうなるの?
冷凍している間は、いわゆる休眠状態に入るだけで、解凍をして20℃前後に戻ると発酵が開始します。冷凍をしても、納豆菌は損なわれない。
海外に住む日本人から「海外でも納豆を食べたい」という問い合わせが多く、日本で製造・冷凍した納豆が輸出されているのだとか。現地では、実際に冷凍した状態で販売されている
冷凍保存により、失われる栄養素も
「解凍することによって水溶性ビタミンが流れ出てしまいますが、タンパク質をはじめとするその他の栄養素は壊れることはありません。味に関しては、水分が一度固まるので、上手く解凍しないと口当たりが変わってしまうことがあります」
(全国納豆協同組合連合会)
「食べる前日に冷凍庫から出し、自然解凍する方法がおすすめです。時間の目安は夏場なら約6時間、冬場なら8時間ほど。常温で放置すると再発酵が進むので注意してください。冷蔵庫に移し、ゆっくり解凍する方法もあります」
(全国納豆協同組合連合会)
納豆を冷凍保存する方法
準備するもの
・タッパー、もしくはジップ付きのフリーザーバック
・ラップ
保存の仕方
購入してきたままのパックの状態でも冷凍は可能なのですが、冷凍焼けなどによる乾燥やニオイ移りを防ぐためにも、
パックから出してタッパーにて保存するか、パックのままラップで包み、フリーザーバッグに入れて保存することをオススメします。
タッパー、フリーザーバックのどちらでも冷凍した納豆の状態に違いは生じませんが、保存において重要なのは「きちんと密閉する」。
「大豆」は万能の“薬”だった (全国納豆協同組合連合会)
健康を保つには、決して「薬」だけに頼ってはいけません。朝、昼、晩と一日に3回食べる「食事」のことなのです。
世界中で、人生の持ち時間が、もっとも長いのは日本人。つまり、日本人は世界で一番長生きしているということです。
しかし、いくら長生きしても、ボケたり、寝たきりになったりして、人間としての尊厳を失ってまで、いたずらに生き長らえることを望む方は、少ないのではないでしょうか。
そのために、何よりも重要なのは、食事なのです。中でも、大事にしてきたのが「大豆」。日本人にとって、大豆はカルシウム・ビタミンも含んだ綜合栄養素であり、万病から健康を守ってくれる、魔法のような「力」を持った食べ物でした。
少なくとも、古代の日本人は、そのような考えを持っていたのは、平安時代の医術書として有名な『医心方』を見れば、よく理解できます。
大豆の効能について、次のように述べているのです(分かりやすく箇条書きにします)。
「大豆」は万能の“薬”だった
● 蒸したり、煮たりして食べれば、その働きは米に勝る。
● 煮豆をはじめて食べたときには、体の動きが重いように感じられるが、一年もたつと軽やかになって、房事(セックス)がよくなる。
● 炒って粉(きな粉のこと)にしたものは、味は甘く、胃の調子をよくし、むくみをとり、麻痺を除く。
● 炒った熱い大豆を酒に入れ、これを飲めば中風などの治療に役立つ。
● 煮豆を汁ごと食べると、いっさいの体の毒気を除く。
● 大便の通りをよくし、腹のしこりを防ぐ上で役に立つ。
奈良時代、脚気にかかって寝起きも不自由になった僧が、「薬」にしたいから、大豆を一升ばかり支給して下さいと、役所に請願した文面が残っています。
「足病起、不便起居」というもので、あきらかに脚気。大豆には、脚気に効果の高いビタミンB1をはじめ、他のビタミンやミネラル、さらにはレシチンやサポニンといった成分も多く、体力回復にも効果が上がっていた筈です。
Q:なぜ「水戸納豆」が有名なのでしょう?
茨城県はもともと、農家などで納豆づくりが盛んなところでした。
しかし、水戸納豆の名前が知られるようになったのは意外に新しく、明治になってから。
かつて納豆が江戸に出回っていたことを本で知った水戸の笹沼清左右衛門という人が、納豆を水戸の名物にしようと製造に乗り出したのがきっかけでした。
しかし、清左右衛門の納豆作りは何度も失敗を重ねました。それが世に出るようになったのは、明治20年代に鉄道が敷設されてから。
最初は水戸駅前の広場で売られていましたが、やがてホームでおみやげとして売られるようになると、汽車の窓から奪い合うほどの人気が出たということです。
茨城県出身の農学者桜井武雄氏によると、茨城県は専業農家の比率は60%と全国平均35%と比べて非常に高く、耕地面積が平均1~2町歩(約1~2ha)という中監農家の率が高く、農産物では陸稲、サツマイモ、家畜はトリ、ブタが全国1、2位など農本主義が徹底していたことも「水戸納豆」を有名とした下地となっていると分析されています。