考えてみるべきなのはなぜか
イエスは,『真の崇拝者は,真理をもって父を崇拝します』と言いました。
(ヨハネ 4:23)
その真理は聖書に収められています。
「真理によって彼らを神聖なものとしてください。あなたの言葉は真理です」。
(ヨハネ 17:17)
聖書は,父と子と聖霊はひとりの神の三つの位格である,と教えているでしょうか。
まず,聖書に「三位一体」という言葉は出ていません。また,イエスは,一度も自分が神と同等である とは述べませんでした。それどころか,神を崇拝しました。
『そして,石を投げれば届くほどの所まで離れ,膝をかがめて祈り始め,こう言った。「父よ,あなたが望まれるようでしたら,この杯を私から取り除いてください。とはいえ,私の望むことではなく,あなたの望まれることがなされますように」。 その時,天使が現れてイエスを力づけた。しかしイエスは深く苦悩し,さらに真剣に祈り続けた。汗が血のようになって地面に滴り落ちた』。
(ルカ 22:41~44)
さらに,イエスと弟子たちとの関係にも注目できます。死んだ状態から霊者としてよみがえらされた後でさえ,弟子たちを「わたしの兄弟たち」と呼んでいます。
『その時,イエスは言った。「恐れることはありません! 行って,私の兄弟たちに報告しなさい。そうすれば彼らはガリラヤに行き,そこで私に会えます」』。
(マタイ 28:10)
弟子たちは全能の神の兄弟だったのでしょうか。もちろん,そうではありません。とはいえ弟子たちも,神の卓越した子であるキリストに対する信仰によって,ひとりの天の父の子となりました。
「皆さんは,キリスト・イエスへの信仰のゆえに神の子です」。
(ガラテア 3:26)
ニカイア公会議で定められたとされる次の信経を,以下に挙げる五つほどの聖句と比較対照してみてください。
ニカイア信経の言葉:
「我らは信ず。……父の同一実体,神の神,光の光,まことの神のまことの神なる,ひとりの主イエス・キリスト……を」。
聖書の言葉:
⚫「父はわたし[イエス]よりも偉大な方」。
(ヨハネ 14:28)
⚫「わたしの父であり,あなたがたの父である方,また,わたしの神であり,あなたがたの神である方のところへわたし[イエス]は上る」。
(ヨハネ 20:17)
⚫「わたしたちにとっては,唯一の神,父である神がおられる」。
(コリント第一 8:6)
⚫「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が,ほめたたえられますように」。
(ペテロ第一 1:3)
⚫「アーメンである方,……神に創造された万物の源である方が,次のように言われる」。
(啓示・黙示録 3:14)
概要:
・「ニカイア信経は,実は第1ニカイア公会議(325年)ではなく,……第1コンスタンティノープル公会議(381年)の所産である」と,「新ウェストミンスター教会史辞典」(英語)は述べている。
・「325年に開かれたニカイア公会議は,子を『父と同一の実体……』と述べることにより,[後に確立される三位一体の]教理の要となる信条を定めた」。―ブリタニカ百科事典(英語)。
「新約聖書をはじめとするクリスチャンの聖書に,三位一体の神に関する,三位一体説を支持する陳述や思弁はない」。―ブリタニカ百科事典。
「三位一体の教理はキリスト教の最初期の時代の所産ではない。ゆえに,はっきりその教理に言及している文献は2世紀末以前にはない」。―「初期キリスト教双書 ― 神々と唯一の神」(英語)。
「[カトリック]教会は,三位一体の教理をはっきり表現するために,哲学に根ざす特定の概念を借りて独自の専門用語を作り上げなければならなかった」。―「カトリック教会のカテキズム(公教要理)」(英語)。