宗教を吟味する ― なぜですか
あなたが命に関わる病気で手術を必要とするとしたら,どうでしょう。担当の外科医の腕を信じて頼りたいと思うのではないでしょうか。
自分の命をその医師に託すことになるからです。そのような場合,医師の経歴を考慮するのは賢明なことでしょう。
同様に,宗教をよく吟味するのは賢明なことです。何かの宗教団体に属している人は,事実上,神との関係における自分の命をその団体に託しているのであり,救われるかどうかもそれによって決まるからです。
イエスは,宗教を客観的に見るのに役立つ規準の一つとして,「木はそれぞれその実によって知られる」と述べました。(ルカ 6:44)
例えば,あなたの見る宗教や宗派は,どんな実を結んでいますか。その宗教の指導者たちは,お金を重視していますか。
信徒たちは,戦争や道徳に関して聖書の教えに従っているでしょうか。そして結局のところ,信頼できる宗教はあるのでしょうか。次の記事をお読みください。
「木はそれぞれその実によって知られる」。
(ルカ 6:44)
宗教を信頼できますか ― お金に関して
エステルは,子どもたちを連れて教会に通っていました。「わたしは牧師に,聖書について教えてほしい,と頼みました」と語っています。
しかし,教えてはくれませんでした。やがてエステルは,教会に行くのをやめました。こう述べています。
「教会の役員たちからの手紙には,礼拝に出られないのなら献金だけしてください,という主旨のことが書かれていました。それで,『わたしが出席するかどうかなど問題ではなく,お金が欲しいだけなんだ』と思いました」。
以前から信仰心の厚かったアンヘリーナは,こう語っています。
「わたしの属していた教会では,毎回,礼拝の間に3度,皆に寄付盆が回され,その都度お金を入れることになっていました。教会はいつも献金を求めていました。わたしは内心,『ここには神の霊がない』と思いました」。
あなたの住んでおられる地域の様々な宗教は,寄付集めのために,あからさまに,あるいはそれとなく圧力をかけてきますか。それは聖書の教えに調和したことでしょうか。
聖書は何と教えているか
キリスト教の創始者であるイエスは,「あなた方はただで受けたのです,ただで与えなさい」と言いました。
(マタイ 10:8)
聖書の教えは,非常に価値があり,望むならだれでも受けられるものであるべきです。
初期クリスチャンは会衆の出費をどのように賄っていたのでしょうか。
各人が「いやいやながらでも,強いられてでもなく,ただその心に決めたとおりに」寄付しました。「神は快く与える人を愛される」からです。
「一人一人が,嫌々ながらでも強いられてでもなく,心に決めた通りに行ってください。神は快く与える人を愛されます」。
(コリント第二 9:7)
使徒パウロはこう述べています。「わたしたちは神の良いたよりをあなた方に宣べ伝えましたが,それは,あなた方のだれにも費用の面で重荷を負わせないようにするために,夜昼働きながらのことでした」。
「兄弟たち,私たちが苦労して働いたことを覚えているでしょう。皆さんに神の良い知らせを伝えた時,誰にも経済的な負担を掛けないよう,私たちは昼も夜も働きました」。
(テサロニケ第一 2:9)
パウロは,宣教奉仕を行なってゆくために天幕作りの仕事をしたのです。
「そして,ポントス生まれのユダヤ人であるアクラと妻のプリスキラに会った。2人は,クラウディウスがユダヤ人全員にローマ退去を命じたために,最近イタリアから来たのだった。パウロは2人のもとに行き, 職業が同じだったのでその家に滞在し,一緒に働いた。天幕作りが職業だった」。
(使徒 18:2,3)