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《体験談を吟味する》の続き・《天使は人間の霊的な福祉に関心を抱いている》~聖書

2020年03月27日 | 日記

《天使は人間の霊的な福祉に関心を抱いている》


天使が登場する最近の体験談の中で特に多いのは,自分は救い出されたという話です。
ベストセラーになったある本には,火事になった家から見えない手によって優しく導き出された少女が登場します。
ブリザードに閉じ込められた二人の大学生について述べた本もあります。突然,1台のトラックが現われ,二人を安全な場所まで牽引しますが,車輪の跡は残されていません。
がんに冒されたアンの話もあります。手術のために入院する3日前,背の高い見知らぬ人がアンの家にやって来ます。
その男性はトーマスと名乗り,神から遣わされてきたと言います。トーマスが手をかざすと,アンは熱くて白いせん光が体を突き抜けるのを感じます。
手術のためにアンが病院に到着すると,医師たちは仰天します。がんは跡形もありません。

こうした話を聞くと,おのずと次のような疑問が生じます。もしすべての人に守護天使がいるのなら,救い出される人がいる一方で,救い出されない人が多いのはなぜでしょうか。
数え切れないほど多くの人が,病気,戦争,飢きん,自然災害で亡くなっています。確かに,真剣に助けを祈り求めた人も少なくありません。
では,なぜ守護天使は彼らを救わなかったのでしょうか。

聖書はその疑問を解く助けになります。神は不公平ではないということを指摘しているのです。
『そこでペテロは話し始めた。「神が不公平ではないことがよく分かりました」』。
(使徒 10:34)

加えて,神の忠節なみ使いたちは,人の身体的な福祉に関心を抱いているとはいえ,霊的な福祉にはそれ以上に強い関心を抱いています。
使徒パウロはその点を示唆する次のような質問を投げかけました。
「み使いたちはみな公の奉仕のための霊であって,救いを受け継ごうとしている者たちに仕えるために遣わされた者なのではありませんか」。
(ヘブライ 1:14)

 

身体的な援助のもたらす益は一時的なものですが,霊的な援助はとこしえの益をもたらします。

天使に関する多くの話は取るに足りないものに思えます。
天使は,疲れた母親がベッドのシーツを替えるのを助け,買い物をしている人にマッチを買うことを思い出させ,駐車する場所を探しているドライバーを助ける,と言われています。
スコットランドのある若い女性は,くすくす笑いながらこう言いました。
「セントマリア通りの駐車禁止の場所に3週間ずっと駐車しておきました。守護天使には,私に愛と同情心を示して車の周りにいてください,とお願いしました。
天使は愛情にあふれているので,交通監視員が来ても私の車を見逃すようにしてくれるんです。駐車違反の切符を切られたことは,まだ一度もありません」。
現代の守護天使のことを,大人にとっては苦しいときに救ってくれる妖精,もしくはサンタクロースのようなものである,と言う人がいるのも不思議ではありません。

 

忠実なみ使いたちは神の言葉に反することをしない

天使に関する本には,霊の領域からのものとされる格言や助言がちりばめられています。
一例として,ある本は,み使いの頭ミカエルが米国コロラド州の女性に伝えた教えを収めていると主張します。
ミカエルの“言葉”の一つはこうです。「すべての道は神に至る。すべての信条,すべての真理の光は神に至る」。
それとは対照的にイエスは,宗教上の道は二つしかなく,一方の道だけが神の恵みと永遠の命に至ると言われました。
もう一方の道は,神による否認と永遠の滅びに至ります。

「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る門は広くてその道は広々としており,それを通って入っていく人は多いからです。一方,命に至る門は狭くてその道は狭められており,それを見つける人は少ないのです」。
(マタイ 7:13,14)

明らかに,この二つが共に真理であるはずはありません。

“新たな霊性”の“天使たち”は結婚や道徳についてどんな立場を取っているのでしょうか。
ある本に出てくるローザンの例から知ることができます。この女性は“天使”からこう告げられました。
「あなたには接することのできる人が大勢います。あなたの夫と共にいることは,もはやあなたの進むべき道ではありません。
あなたはご主人を愛し,ご主人もあなたを愛しています。でも,今は別れるべき時です」。ローザンは離婚しました。
しかし聖書によると,神はしかるべき根拠もなく離婚することを憎んでおられます。

「わたしは離婚を憎むと,イスラエルの神,主は言われる。離婚する人は,不法でその上着を覆っていると,万軍の主(神)は言われる。あなたたちは自分の霊に気をつけるがよい。あなたたちは裏切ってはならない」。
(マラキ 2:16)

姦淫を犯した夫婦の話もあります。その夫婦は,そのような行為に携われば天使が歓んでくれ,自分たちを独特の霊気で包んでくれると信じていたのです。
しかし聖書は,「あなたは姦淫を犯してはならない」と述べています。
(出エジプト記 20:14)

ここに挙げたような現代的な音信によって,聖書が改訂されるということはあり得るのでしょうか。
いいえ,神の言葉は変わりません。使徒パウロは1世紀のある人たちにこう書きました。
「あなた方が,キリストの過分のご親切をもってあなた方を召してくださった方から別の種類の良いたよりへと,これほど早く移って行くことを,わたしは不思議に思います。
しかしそれは別のたよりではなく,ただ,あなた方を煩わせ,キリストについての良いたよりをゆがめようとしている者たちがいるというだけのことなのです。
しかし,たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと,わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです」。
( ガラテア 1:6~8)