『希望に対する全き確信を保つ』
聞いたり,読んだり,見たりする事柄すべてを信用するわけにはゆきません。
しかし,創造者を信頼すべき理由は十分にあります。
その方は至上者であるだけでなく,地上にいる子どもたちを気遣う愛ある父親でもあられます。
神はご自分の言葉についてこう述べておられます。「それは成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。
それは必ずわたしの喜びとしたことを行ない,わたしがそれを送り出したことに関して確かな成功を収める」。
「そのように,わたしの口から出るわたしのことばも,むなしく,わたしのところに帰っては来ない。必ず,わたしの望む事を成し遂げ,わたしの言い送った事を成功させる」。
(イザヤ 55:11)
イエス・キリストは神からの真理を教えました。
そして,イエスに耳を傾けた多くの人は全き確信を持ってその真理を受け入れました。
例えば,心の正直なサマリアの人たちは,自分たちより先にイエスの話を聴いた女性にこう言いました。
「わたしたちはもう,あなたの話のゆえに信じているのではない。自分で聞いて,この人こそ確かに世の救い主だということが分かるのだ」。
(ヨハネ 4:42)
今日のわたしたちも同様に,不安定な時代に住んではいても,何を信じるかに関して不安を抱く必要はありません。
宗教的信条に関しては,理解しようとするより,とにかく信じるべきだ,という見方をする人が少なくありません。
しかし,聖書筆者のルカはそのような見方をしていませんでした。
ルカは,自分の書き記した事柄の「確かさ」を他の人たちに『十分に知ってもらうため』,調査をして正確な情報を提供しました。
「それは,あなたに教えられている事柄が確実であることを,十分に知っていただくためです」。
(ルカ 1:4)
わたしたちと信仰を共にしない家族や友人は,わたしたちがやがて幻滅して打ちひしがれるのではないかと心配するかもしれません。
ですから,自分の信仰を弁明できるようにしておくのは大切です。
「むしろ,あなた方の心の中でキリストを主として神聖なものとし,だれでもあなた方のうちにある希望の理由を問う人に対し,
その前で弁明できるよう常に備えをしていなさい。しかし温和な気持ちと深い敬意をもってそうするようにしなさい」。
(ペテロ第一 3:15)
自分の信じている事柄の理由を正確に知っていて初めて,神に信頼を置くよう他の人を助けることができます。
聖書は神(ヤハウェ,エホバ)を次のような言葉で描写しています。
「岩なる方,そのみ業は完全,そのすべての道は公正である。忠実の神,不正なところは少しもない。義であり,廉直であられる」。
(申命記 32:4)
「主(神)は岩。主(神)のみわざは完全。まことに,主(神)の道はみな正しい。主は真実の神で,偽りがなく,正しい方,直ぐな方である」。
(申命記 32:4)
「義であり,廉直であられる」という最後の表現に注目してください。
この言葉が確かであると言えるどんな証拠があるでしょうか。使徒ペテロは,これが事実であることを全く確信していました。
ペテロはローマ人の士官とその家の者たちに,
「わたしは,神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」と述べました。
『そこでペテロは口を開いてこう言った。「わたしは,神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」』。
(使徒 10:34,35)
ペテロがそう言えたのは,神ご自身のみ手が物事を導き,以前は受け入れ難い汚れたものとみなされていた異邦人の家族が神に受け入れられるようになるのを目の当たりにしていたからです。