2年ほど前、息子が幼稚園絡みの行事で山登りに行くことになり熱射病対策として、ダイソーにて216円の青いキャップを購入。
無地で味気なかったので、恵比寿にあったF1ショップ「ミスタークラフト」にて、かなり昔に購入した「UNITED COLORS OF BENETTON」のワッペンを縫い付けたパチモノを作成~ アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノ
BENETTONキャップ(パチモノwww)
青地に「UNITED COLORS OF BENETTON」のロゴなので、イメージはベネトンB191B
青く塗装されたサイドポンツーンに「UNITED COLORS OF BENETTON」のロゴ
カラフルな色遣いが特徴的な服飾ブランドの「ベネトン」だが、私のイメージはF1の「ベネトン・フォーミュラ」。中学生の頃はF1のベネトンが服もやってるんだぁ~と本気で思ってた(爆)
ベネトンとF1の関わりは、まず1983年ティレルチームのスポンサーとしてF1に参加。
ベネトン・ティレル011
第7戦デトロイトGPではアルボレートが優勝。この優勝がDFVエンジンとティレルの最後の勝利となる。
第11戦オーストリアGP以降新型012が投入。
1984年アルファロメオチームのスポンサーとしてF1に参加(1985年まで)。
ベネトン・アルファロメオ185T
1984年は11ポイント獲得してコンストラクター8位を得るが、1985年はノーポイント。当時のドライバーのリカルド・パトレーゼは、「自身、最悪のシーズン」と振り返るほど低迷し、ワークスチームはこの年限りで撤退した。
1985年トールマンチームのスポンサーとなる。
ベネトン・トールマンTG185
この年のドイツGPでは、テオ・ファビがチーム史上唯一となるポールポジションを獲得しているがコンストラクターズポイントは0。1985年はベネトンがスポンサードするトールマン、アルファロメオ共にノーポイントと散々な結果に。
1986年トールマンチームを買収し、Benetton Formula Limited(ベネトン・フォーミュラ)に改名してF1へ参戦開始。
1989年のB189まではこのロゴ使ってた
1990年のB190からこのブランドロゴに変更。(今のデザインは文字が全体的に左上に寄っている)
息子の帽子にはこのロゴを採用
ベネトンB190
1990年まではベネトンらしいカラフルでビビットな色遣い♪B190が自分の中ではベネトン・フォーミュラのベストマシンだね!ロータスで低迷していたネルソン・ピケが終盤の日本GP、オーストラリアGPにて復活の2連勝もシビレた~!!!
1991年に「キャメル」がメインスポンサーとなり今までの緑・赤・黄・青の4色から黄色主体のカラーリング(黄・青・緑)へ。(B192、B193も同様)
キャメル・ベネトンB191
B191は好きなマシンだったけど、なんとなくベネトンがベネトンじゃなくなったと感じたマシン。カナダGPでの勝利がネルソン・ピケ最後の勝利となる。
1994年にメインスポンサーがJTの「マイルドセブン」に変わり、車体も水色に変わり、カラフルでビビットでありながら美しかったベネトンが完全消滅。水色のベネトンは徐々に見慣れてきたけど、昔ほど愛着がわかなくなった。
マイルドセブン・ベネトンB194
スポンサー第一主義のF1において契約によりカラーリングの変更は当然であるが、ベネトンには、ずっとカラフルでビビットで美しくあり続けてほしかったなぁ~
息子のキャップのことより、F1×ベネトンのことばっかになってもうた(苦笑)
※その他グッズはこちら
無地で味気なかったので、恵比寿にあったF1ショップ「ミスタークラフト」にて、かなり昔に購入した「UNITED COLORS OF BENETTON」のワッペンを縫い付けたパチモノを作成~ アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノ
BENETTONキャップ(パチモノwww)
青地に「UNITED COLORS OF BENETTON」のロゴなので、イメージはベネトンB191B
青く塗装されたサイドポンツーンに「UNITED COLORS OF BENETTON」のロゴ
カラフルな色遣いが特徴的な服飾ブランドの「ベネトン」だが、私のイメージはF1の「ベネトン・フォーミュラ」。中学生の頃はF1のベネトンが服もやってるんだぁ~と本気で思ってた(爆)
ベネトンとF1の関わりは、まず1983年ティレルチームのスポンサーとしてF1に参加。
ベネトン・ティレル011
第7戦デトロイトGPではアルボレートが優勝。この優勝がDFVエンジンとティレルの最後の勝利となる。
第11戦オーストリアGP以降新型012が投入。
1984年アルファロメオチームのスポンサーとしてF1に参加(1985年まで)。
ベネトン・アルファロメオ185T
1984年は11ポイント獲得してコンストラクター8位を得るが、1985年はノーポイント。当時のドライバーのリカルド・パトレーゼは、「自身、最悪のシーズン」と振り返るほど低迷し、ワークスチームはこの年限りで撤退した。
1985年トールマンチームのスポンサーとなる。
ベネトン・トールマンTG185
この年のドイツGPでは、テオ・ファビがチーム史上唯一となるポールポジションを獲得しているがコンストラクターズポイントは0。1985年はベネトンがスポンサードするトールマン、アルファロメオ共にノーポイントと散々な結果に。
1986年トールマンチームを買収し、Benetton Formula Limited(ベネトン・フォーミュラ)に改名してF1へ参戦開始。
1989年のB189まではこのロゴ使ってた
1990年のB190からこのブランドロゴに変更。(今のデザインは文字が全体的に左上に寄っている)
息子の帽子にはこのロゴを採用
ベネトンB190
1990年まではベネトンらしいカラフルでビビットな色遣い♪B190が自分の中ではベネトン・フォーミュラのベストマシンだね!ロータスで低迷していたネルソン・ピケが終盤の日本GP、オーストラリアGPにて復活の2連勝もシビレた~!!!
1991年に「キャメル」がメインスポンサーとなり今までの緑・赤・黄・青の4色から黄色主体のカラーリング(黄・青・緑)へ。(B192、B193も同様)
キャメル・ベネトンB191
B191は好きなマシンだったけど、なんとなくベネトンがベネトンじゃなくなったと感じたマシン。カナダGPでの勝利がネルソン・ピケ最後の勝利となる。
1994年にメインスポンサーがJTの「マイルドセブン」に変わり、車体も水色に変わり、カラフルでビビットでありながら美しかったベネトンが完全消滅。水色のベネトンは徐々に見慣れてきたけど、昔ほど愛着がわかなくなった。
マイルドセブン・ベネトンB194
スポンサー第一主義のF1において契約によりカラーリングの変更は当然であるが、ベネトンには、ずっとカラフルでビビットで美しくあり続けてほしかったなぁ~
息子のキャップのことより、F1×ベネトンのことばっかになってもうた(苦笑)
※その他グッズはこちら