自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

真のMVP(2017 WBC)

2017-03-24 17:00:00 | スポーツ観戦記
【WBC】準Vプエルトリコ、モリーナ中心に米国称えるジェスチャーが「一流」と話題に

決勝は完敗で2大会連続準Vも、敗戦直後に見せたスポーツマンシップに絶賛の嵐




アメリカ代表を称えるプエルトリコ代表の面々

 第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝が22日(日本時間23日)にロサンゼルスのドジャースタジアムで行われ、米国が8-0でプエルトリコに快勝。準決勝で侍ジャパンを破って決勝に進出した野球の母国が悲願の初制覇を果たした。一方で、プエルトリコ代表は7戦全勝で決勝まで駆け上がりながら2大会連続の準優勝という結果に。しかし、敗戦後に見せた勝者を称えるジェスチャーに「一流」との声が上がっている。

 決勝まで怒涛の勢いで勝ち上がってきたプエルトリコだが、先発ルーゴが米国打線につかまり、4回4失点で降板。救援陣も失点を重ねると、打線も米国先発ストローマンの一世一代の快投の前に6回まで無安打に抑えられ、反撃できなかった。

 悔しさの残る試合後、プエルトリコはダグアウトの選手、スタッフ全員が集まり、立膝を突き、円陣を組んだ。そして、夜空に腕を挙げて神に祈りを捧げてから、マウンド上で喜びを爆発させるチームUSAに向けて青いキャップを脱ぎ、指し示した。チームリーダーのヤディアー・モリーナ捕手(カージナルス)が率先して脱帽。そして、右手の親指をサムアップした。これに、若きスーパースター、カルロス・コレア内野手らも続き、脱帽した。

 激闘を終えた後に勝者を称えたプエリトリコのジェスチャーをWBC公式ツイッターもレポート。写真に「すべてのリスペクトを」とのメッセージを添えた。この準優勝チームのスポーツマンシップには、世界の野球ファンからも絶賛の声が集まった。

プエルトリコとモリーナに相次ぐ称賛の声
「真のMVP集団」
「彼はアメージング」
「純粋に一流」
「野球はこれに尽きる。本当に一流の所作を見せたプエルトリコは素晴らしい仕事ぶり」
「まさしく一流。スポーツはこうでなければ」
「まさに! プエルトリコ代表の真の一流の所作に大きな敬意を」
「プエルトリコこそ、真のMVP集団」
「我々は格式を持った戦士だ」

 チームのジェスチャーを評価する声に加え、今大会でチームを牽引したモリーナの人格を称える意見もあった。

「カージナルスのことは相当憎いけど、WBCを見た後にはヤディのことをリスペクトしました」
「同感です。彼はアメージング」

 メジャー最強捕手は準決勝オランダ戦でも、試合後にヤクルトの主砲バレンティンにすぐに近づいて抱擁。健闘を称える一流の流儀を見せていた。

 昨年7月、マーリンズのイチロー外野手がメジャー史上30人目の3000本安打に残り9本としていた試合で相対すると、「尊敬している」というレジェンドが打席に入る際には、敵地セントルイスの観衆が十分な喝采を送る時間を作るため、プレートの前であえてゆっくりと振る舞う粋な計らいを見せたカージナルスの名手。相手に敬意を払う人間としての器の大きさを見せたプエルトリコとモリーナはスポーツマンシップを体現することで、絶賛を浴びた。

参照記事:【準Vプエルトリコ、モリーナ中心に米国称えるジェスチャーが「一流」と話題に】


今大会、最も賞賛されるべきはプエルトリコ代表であった。Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎さん曰く「トップレベルの選手こそグッド・ルーザーであれ」とのことだが、今回プエルトリコ代表の選手たちの振る舞いはまさにそれであった!

一生懸命にプレーしているんだから誰だって負けたら悔しい。しかし、そこでスポーツマンシップ溢れる態度をできるかどうかで、一流選手かどうか測られるのだ。


一方、アメリカ代表は…

初優勝を決め、マウンドにワシの置物を置いて喜ぶアメリカの選手たち

こーゆー行動はダメだろう…そのマウンドは素晴らしい戦いを演じたプエルトリコ代表にとっても主戦場だったのだから。対戦相手に対しての敬意が感じ取れない。一流の試合を演じてくれたのに、試合後の行いは二流だったね。

アメリカ代表がやったことだから、どうせマスコミではそんな取り上げることもないだろうし、非難されることもあまりないだろうけど、僕は不快だったね。


2009年のこの風景を思い出したわ…


一桁背番号の投手

2017-03-24 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
野球のユニフォーム考察の際、よく見るのは配色、ロゴ、キャップ等であるが、背番号もそのチーム、個人の個性があり、見てて楽しい。

先日、WBC決勝戦で快投を演じたアメリカ代表マーカス・ストローマンは代表でも所属先のトロントでも6番を着用。そこで、ちょっと思った。そーいえば、昨年のMLBでは一桁背番号の投手が何人かいたなぁ…

その背番号だが、NPBでもMBLでも投手の一桁背番号はあまり見慣れないので、そこそこ目立つ。そもそも、なぜ投手の一桁背番号は少ないのか。それは1929年に初めて背中に番号をつけたニューヨーク・ヤンキースの影響が強いと言われている。当初、背番号は打順通りに振り分けたため、ベーブ・ルースが3番、ルー・ゲーリッグが4番…。5、6、7、8と来て、9番は控え捕手がつけ、控え野手は10番台、投手は20番台以降となる。このため一桁は野手の背番号というイメージが現在のNPB、MLBでも定着している。

でも…


そんな既成概念をぶち壊せ!(笑)

一桁背番号投手達集合!(2016年の時点で)

#6 マーカス・ストローマン(TOR)


#4 ブレイク・スネル(TB)


#8 マイク・リーク(STL 2016~17,SEA 2017~ )




#6 カール・エドワーズ・ジュニア(CHC)


#0 アダム・オッタビーノ(COL 2019よりNYY)



アダム・オッタビーノは、高校時代も背番号「0」だった。「0(ゼロ)」を自身のイニシャル「O(オー)」に見立てている。2012年につけていた背番号「37」を、2013年より「0」に変更。メジャーリーグの歴史のなかで、背番号「0」の投手はオッタビーノだけだ。マイク・リークが8番を選んだ理由は「アリゾナ州立大時代につけていたから」、6番のマーカス・ストローマンは「祖母の誕生日(3月6日)から取った」。

トロントといえば、そのストローマンの前に一桁背番号をつけた投手が数名いた。

まずはジョシュ・タワーズ投手の7番(03~07年)。

#7 ジョシュ・タワーズ(元TOR)

過去の取材で背番号が7になった経緯をこう述べた。「初めてメジャーに昇格したのが遠征先で、球団が予備で持っていたユニホームが48番と7番だけだった。でも48番はサイズが大きすぎんだ」。そして、「背番号のことはよく聞かれるけど、マウンドに上がったら背中の番号は自分では見えないからね」

背番号にこだわる選手も入れば、ジョシュ・タワーズのようにかなり無頓着の選手がいるのも面白い。(ちなみに私は「13」という背番号にかなりこだわっていた)

他にカイル・ドレイベックがトロント在籍時の2010年~2014年に4番を着用していた。

#4 カイル・ドレイベック(元TOR) 

余談だが、2016年7月にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ際に球団はドレイベックを野手(遊撃手)として起用することも示唆したらしい。

【追記:2017/05/07、09】
#7 フリオ・ウリアス(LAD) 

2016年途中から背番号「78」から「7」に変更。左目は殆ど見えないらしいが、そんなハンディキャップは微塵も感じられないメキシカン。牽制が非常にうまい。

#3 クレイトン・リチャード(SD) 



過去SD在籍時、CHC時代は背番号「33」だが、2016年SD復帰時は「27」を着用。2016年シーズン終了後FA、SDと再契約に伴い背番号「3」に。過去着用した「33」に関係あるのかな?
追記:2019年にトロントへ移籍。背番号はまたもや一桁の「2」

#9 マット・ベライル(MIN) 

COL時代の2010~2013年は年間70試合以上登板した実績をもつ名セットアッパー

【追記:2017/05/16】
一桁ではないがオマール・オリバレス/Omar OlivaresがSTLとPHI在籍時、自分の頭文字O.O.にちなんで00を着用していた時期があった。
#00 オマール・オリバレス(STL) 

STL在籍時は1993年、PHL在籍時は1995年、それぞれ「00」を着用

MLBで投手の一桁背番号は80年代は1人、90年代は3人しかいなかったというから、ちょっと状況が変わってきてるのかもね。面白い傾向だ。


で、NPBはどうなんだろうと?と、ちょい調べてみた。

【0】
大畑徹(日本ハム 86~87)
坂巻明(ロッテ 88)
松浦宏明(日本ハム 88~94)
川畑泰博(阪急 91~92)
吉田篤史(千葉ロッテ 95~96)
長冨浩志(日本ハム 97)
荻野忠寛(千葉ロッテ 07~14)
金剛弘樹(中日 07~12)
佐藤宏志(東北楽天 07~08)
山崎福也(オリックス 18~)


【1】
宮武三郎(阪急 36春~38秋)
丹羽淑雄(名古屋 36)
石井秋雄(イーグルス 37春~37秋)
近藤久(ライオン 37秋~40)
大沢紀三男(中日 47~48)
後田二郎(南海 47)
米川泰夫(急映 49)
岩本信一(大洋 50)
梶岡忠義(大阪 50~51)
薮本和男(大映 50~51)
野崎泰一(広島 53)
藤江清志(南海 53~54)
西尾滋光(大阪 54~57)
金彦永徳(南海 56~60)
柴原光三(大映 57)
大矢根博臣(西鉄 61~62)
鈴木啓示(近鉄 66~85)
大久保美智男(広島東洋 79~82)
名取和彦(西武 81)
愛甲猛(ロッテ 81~84)※1
近藤真一(中日 88~91)
野田浩司(阪神 88~90)
中込伸(阪神 95~00)
加藤伸一(オリックス 99~01)
谷中真二(阪神 01~03)
戎信行(オリックス 02)
大嶺祐太(千葉ロッテ 07~09)
松井裕樹(東北楽天 14~)
熊原健人(横浜DeNA 16~17)
斎藤佑樹(北海道日本ハム 17~)

※1 投手登録期間のみ表記


【2】
牧野潔(名古屋 36春秋)
松元三彦(金鯱 40)
鈴木芳太郎(南海 43)
内藤幸三(ゴールドスター/金星 46~47)※2
藤村隆男(大阪 50~56)
有友敏(南海 52)
小畑正治(南海 52~58)
ジョン・サディナ(南海 59~60)
杉川喜久雄(大洋 56)
宮崎逸人(大阪 57~58)
柴山宗守(大阪・阪神 59~61)※3 
中島広喜(阪神 62~63)
カーター・スチュワート(福岡ソフトバンク 19~ )

※2 46年のみゴールドスター、47~48年は金星スターズ
※3 大阪タイガース(46~60)阪神タイガース(61~ )


【3】
桜井正三(名古屋 36)
松浦一義/ジョージ・カズヨシ・マツウラ(名古屋 36春秋)
石田光彦(阪急 36春~40)
石田光彦(南海 41~42)
藤本英雄(中部日本 47)
内山清(大阪 48~49)
野崎泰一(大阪 50)
河文雄(大阪 51)
梶岡忠義(大阪 52~55)
河内忠吾(大阪 56)
平松政次(大洋 67)
テリー・レイ(日本ハム 74)
上田卓三(阪神 76~77)
江川卓(阪神 79)※4 

※4 書類上の手続きのみ


【4】
遠藤忠二郎(大東京 36春~37春途中)
駒田桂二(大阪 50~56)
相沢進(毎日 51~53)
レン・カスパラビッチ(近鉄 53~54)
菊池博仁(広島 53)
杉浦竜太郎(広島 54)
関口正巳(大洋 55)
藤村隆男(広島 57)
ジーン・バッキー(阪神 62~68)
ジーン・バッキー(近鉄 69)
マット・キーオ(阪神 87~90)
武田一浩(日本ハム92~95)
藪恵壹(阪神 02~04)
ジョー・バレンタイン(中日 07)
ライアン・ボーグルソン(阪神 08)
フェリペ・ポーリーノ(埼玉西武 16)


【5】
ハーバート・ノース(名古屋 36春)
大友一明(大東京/ライオン 36春~37秋)※5
西沢道夫(名古屋 37春秋)
望月潤一(イーグルス 37春~38秋)
松元三彦(金鯱 37春~38秋)
鈴木芳太郎(南海 38秋)
釣常雄(大阪/阪神軍 38春~40)※6
大宮清(金鯱 39~40)
清水秀雄(南海 40、42~43、52~53)
渡辺時信(朝日 42)
塩見栄一(大阪 48~49)
近藤貞雄(中日/名古屋 48~52)※7
内山清(大阪 50~52)
野崎泰一(東急 51)
清水秀雄(大洋 52~53)
斉藤宗美(広島 52)
真田重蔵(大阪 54~56)※8
杉川喜久雄(大洋 54~55)
植木一智(阪神 69)
ジョン・パセラ(巨人 87)

※5 大東京は、1937年秋にライオンに球団名を変更
※6 大阪(大阪タイガース)は、1940年途中に阪神(阪神軍)に球団名を変更
※7 中日は1951~1953年のみ「名古屋ドラゴンズ」
※8 1954年まで登録名は「真田重男」/1956年は投手として出場はなし


【6】
中山正嘉(金鯱 37春~40)
劉瀬章(南海 38秋~40)
徳島忠彦(南海 41~42)
義川泰造(阪急 42)
野口正明(産業軍 44)
高野裕良(東京巨人軍 46~47)※9 
中原宏(南海 48~49)
宮沢基一郎(大陽 49)
田宮謙二郎(大阪 50~51)
真田重蔵(大阪 52~53)※10 
小山正明(大阪 54~56)
萩原隆 (大洋 54)
円子宏(南海 58)
ジョー・スタンカ(南海 60~65)
ジョー・スタンカ(大洋 66)
山口哲治(南海 86~87)
久保康生(近鉄 96~97)
トム・デイビー(オリックス 06~08)


※9 48年より高野姓
※10 登録名は「真田重男」


【7】
村田重治(タイガース 36)
浅岡三郎(東京セネタース/翼軍 36~40)※11
森井茂(名古屋 37春~38秋)
広島清美(大和 42~43)
野口正明(名古屋 43)
野口正明(中部日本 47)
岩本信一(南海 47~49)
沖実郎(中日 48~50)
塩見栄一(大阪 50)
伊藤万喜三(東映 51)
神田昌男(大洋 54)
鈴木皖武(阪神 69~70)
エディソン・バリオス(福岡ソフトバンク 13)

※11 東京セネタースは1940年途中に翼(翼軍)に球団名を変更


【8】
納家米吉(南海 38秋)
天川清三郎(南海 39~40)
村松長太郎(東京セネタース/翼軍 39~40)※12
長谷川重一(イーグルス/黒鷲 39~41)※13
今西錬太郎(阪急 46)
清水秀雄(グレートリング 46)
川島典秋(阪急 50)
干場一夫(大阪 50~52)
箱田義勝(広島 50)
南菊一(東映 52)
大崎三男(大阪 53~57)
林直明(大洋 54)
小武方健一(南海 55~56)
神田昌男(大洋 55~58)
小山正明(大阪 57)
島本講平(南海 71)

※12 東京セネタースは1940年途中に翼(翼軍)に球団名を変更/投手登録だったが39年は投手として出場はなし
※13 1940年10月6日より黒鷲軍に改称

【9】
青柴憲一(東京巨人軍 35)※14 
手塚勝巳(大東京 36春秋)
浅野勝三郎(阪急 36春~41)※15
石原繁三(東京セネタース/翼軍 36春秋、40)※16
塩田猪年男(東京セネタース 38秋~39)
石原繁三(大洋軍 41)
石原繁三(黒鷲軍/大和軍 41)※17
藤村隆男(阪神軍 40~42)
中原宏(阪神軍 43)
義川泰造(阪急 43)
政野岩夫(南海 43)
池田善蔵(太陽 47)
藤原利美(巨人 50)
北川桂太郎(毎日 50~53)
金城政夫(東急 51~52)
西村修(大阪 51~53)※18
中西由行(中日 52)
栄屋悦男(大阪 54)
中村国雄(大洋 54)
アルビン・スピアマン(阪急 55)
倉高新始(大毎 60~61)
嘉勢敏弘(オリックス 94~00)※19

※14 米国遠征時。公式戦開始は1936年。その時の背番号は「13」
※15 1936、1937年は山田姓
※16 東京セネタースは1940年途中に翼(翼軍)に球団名を変更
※17 黒鷲軍は、1942年に大和軍に球団名を変更
※18 但し1953年は外野手として3試合出場、投手としての出場はなし/1953年は本名・登録名を「伊沢修」に変更
※19 但し外野手登録。外野手登録のまま登板したのは97、00年。
   01年から投手登録に変更に伴い背番号も28に変更(01~04)


一桁ではないが…【00】
カルロス・ミラバル(日本ハム 00~05)
デニス・ホールトン(福岡ソフトバンク 08)
キャメロン・ロー(福岡ソフトバンク 09)
吉川輝昭(福岡ソフトバンク 10~13)
許銘傑(オリックス 12~13)
藤井秀悟(横浜DeNA 12~14)
星野智樹(東北楽天 13)
江尻慎太郎(福岡ソフトバンク 13~14)
東野峻(横浜DeNA 15)
久保裕也(横浜DeNA 16)

【注】
①個人での調査のため、掲載情報は必ずしも正確ではない。不正確な情報、及び記入漏れが確認された際は随時更新予定
②1リーグ時代の情報(特に背番号2~9)が自分の確認した範囲では殆ど見当たらなかったので上記記載選手以外にも着用者が存在する可能性があり
③背番号「00」についても個人の記憶の範疇での抽出のため、上記記載選手の他に着用者がいる可能性あり


一桁背番号は野手という球界の伝統にくみしなかったのが大阪/阪神タイガース。タイガースは球団創設時に選手の名前の“いろは”順に番号を振ったというエピソードが現すように他球団にはない独特の背番号観を有していることによって、球界では異色の一桁背番号の投手(「1」は除く)や10番代の野手がしばしば出現するらしい。
どうりで…調べててタイガースの選手多かったもんなぁ~でも、そーゆ-ひねくれたところ大好きです!(笑)

で、予想通り、1番は高校野球のエース番号なので、それなりに多い。そして他の一桁背番号ほど違和感がない。(余談だが韓国KBOでは1番は普通に投手の背番号として定着してる)

予想外だったのは、1番から9番まで満遍なく着用してた選手がいたんだねぇ~。特に1950年台は一桁背番号の投手、結構いるじゃん!当時はそんなに珍しくなかったのかなぁ?

※追記 1950年代、大阪タイガースにて一桁背番号の投手が多い理由
1950年、リーグが分裂し、ファームの結成などの改革を行ったタイガースは背番号をポジション別に改めた。1 - 8が投手、9 - 11が監督、助監督、主将、12 - 14が捕手、15 - 20が内野手、21 - 24が外野手、それ以降をファームの選手とした。9 - 11が捕手に使われていないのは、1リーグ時代からの功労者である背番号9の松木謙治郎と背番号10の藤村富美男の番号を変えないように配慮したためである。


0番は比較的新しい番号だから、投手でもさほど違和感ないかも。カッコよくはないけど(笑)

でも、鈴木啓示投手は別格にしても、全体的に見て投手で一桁背番号の着用期間って、そんな長くないんだよね~。

1番は期待を込めて選手に与えられる場合もあるだろうけど、2~9番に関しては二桁で空き番号がないから、とりあえず一桁の背番号つけといて~みたいな緊急措置的要素が強いのかなぁ~

去年、埼玉西武に入団したフェリペ・ポーリーノが4番を着用し、おっ、久しぶりにNPBで一桁背番号の投手がでてきていいねぇ~と思ったけど、1年限りで退団になっちゃって残念。

逆にMLBでは一桁背番号の投手が投手が新たなトレンドになるかな?そーゆーのも気にしながらの野球観戦も個人的には楽しいのである。共感してくれる人は殆どいないが(苦笑)


※追記(2017/4/5)
CPBLにて今年、富邦ガーディアンズ(フーバン・ガーディアンズ/富邦悍将)に入団した元・中信兄弟の增菘瑋投手が8番付けてるね。

#8 增菘瑋(富邦悍将)

他にも中信兄弟の潘韋辰投手が3番

#3 潘韋辰(中信兄弟)

※追記(2017/8/22)

#5 Bryan Woodall/ブライアン・ウッドール/伍鐸B.W(中信兄弟)

一桁ではなく「00」だが…

#00 Rick Teasley/リック・ティーズリー/銳力R.T(中信兄弟)

2017年5月にKBO・ネクソンに加入したジェイク・ブリガム(元ATL,東北楽天)は背番号「8」



【追記】
オーストラリアでは投手の一桁はさほど珍しくないようでABLの試合をYou Tubeで見ていてもちらほら見受けられる。そーいえば阪神に在籍していたジェフ・ウィリアムス投手も北京五輪オーストラリア代表では「3」だったもんなぁ。


#8 フランク・ガイリー(キャンベラ・キャバルリー)

他にも2017-18シーズンではマイケル・クリック(キャンベラ・キャバルリー)が#6、ライアン・ダンカン(アデレード・バイト)が#3、クリストファー・ホーン(アデレード・バイト)が#8、ダニエル・ニルソン(ブリスベン・バンディッツ)が#2、ザック・テレス(ブリスベン・バンディッツ)が#9、マット・ウィルソン(メルボルン・エイシズ)が#6、トレバー・フォス(シドニー・ブルーソックス)が#7である。



また、表題から反れるが「18」について一言。

MLBでは野手の番号である「18」だが、NPBでは完全に投手の番号。

その「18」を今年から北海道日本ハムの岡大海外野手が着用するのは新鮮でいいねぇ~


NPBにて野手が「18」を着用するのは1987年に横浜大洋に在籍したシクスト・レスカーノ外野手以来。日本人選手に限定すると中日に在籍していた小木曽紀八郎内野手が1963、1964年に着用していた以来だってねぇ~。いいねぇ、いいねぇ、こーゆー個性あふれる背番号って大好き


ユニフォームに関しては、かなり保守的な私だが、背番号に関しては…

既成概念をぶち壊して欲しい!(笑)

※他にもユニフォームのこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)