自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

⑧このユニフォームが好き!【中日ドラゴンズ編】

2019-01-03 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)

基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
昇華プリントNG
広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要


第8回目は現在の「中日ドラゴンズ

●ホーム用
・1996~2003モデル

#34 山本昌広/右:#55 大豊泰昭

1987年に星野仙一監督就任に際しLADタイプのユニフォームに変更。そして1996年に再度星野仙一監督が就任した際、LADスタイルのユニフォームがマイナーチェンジされた。正確に言うと、よりLADに近いスタイルとなり、背番号や背ネームの書体はMLB型に、Dragonsのヒゲがドジャーズのように左端のDの先端にかかるように変更された。1987年から1995年まで使用された筆記体「D」キャップも1996年にマイナーチェンジがあり、天ボタンがLAD同様ホワイトに変更。翌年以降キャップロゴはブロック体の「D」に変更されたため、筆記体「D」キャップとこのユニフォームの組み合わせは1996年のみ。



●ビジター用
・1996~2001モデル

#50 音重鎮
細かい変更点は上記ホーム用と同様で筆記体「D」キャップと併用された1996年がベストであった。


#20 宣銅烈
翌1997年からキャップロゴはブロック体の「D」に変更。ユニフォームのデザインが圧倒的に秀でていただけに野暮ったいデザインのキャップにはガッカリした。


・2003モデル

#13 岩瀬仁紀

2002年に山田久志監督就任に伴い、球団史上初となるセパレートタイプのカラージャケットを採用するという愚行を犯した中日ドラゴンズ。元々プラクティスジャージとしてブルーのカラージャケットを採用していたので2002年のカラージャケットはプラクティスジャージのようでユニフォームの品格を陥れる愚行だった。しかし、2003年に再びグレーのジャージを採用。従前どおりLADスタイルであったが、1999年にLADがビジター用にラケットラインを採用していたからか、中日も追随するようにラケットラインを採用。また、LAD同様にDragonsのロゴ、胸番号、背番号に白のアウトラインも追加された。しかし、2004年に落合博満監督週により、僅か1年で廃止。完成度の高いデザインだっただけに実に残念だった。

次回はオリックス・バファローズの予定。

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

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