小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)
基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
①昇華プリントNG
②広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要
第10回目は現在の「阪神タイガース」
●ホーム用
・1988~1990モデル
#00 ルパート・ジョーンズ
#16 岡田彰布(左は#5 金森栄治)
#44 ランディ・バース
●ビジター用
・1988~1990モデル
#8 田尾安志
#44 セシル・フィルダー
阪神という球団は現存するNPB球団では巨人に次ぐ歴史を有する球団ではあるが、ユニフォームは比較的短期間で変更を繰り返している。しかし、1982年にホーム用で採用されたモノクロユニフォーム、及び1984年から採用されたグレーにピンストライプのビジター用ユニフォームはマイナーチェンジが何回かあったものの基本的なデザインは長年変更がなかった稀有なユニフォームであった。オレもNPB観戦を始めた時、阪神はこのユニフォームで1985年も当然このデザインのユニフォームを着用していたので最も思い入れのあるデザインである。
但し、オレが今回お気に入りとして挙げたのはホーム・ビジター用共に1988~1990年モデル。というのも基本的にこの時代の阪神はプルオーバーを採用していたが1988年に就任した村山実監督がプルオーバーに対し否定的だったため。ここで、このユニフォームは完成したと言っても過言ではないだろう。
しかし、中村勝広監督2年目の1991年に元のプルオーバーに戻してしまい、2001年に星野仙一監督が就任するまで時代遅れのプルオーバーが採用され続けることになる(但し2001年以降も上のボタン3つまでが開閉式で残りは飾りボタンなので厳密にはプルオーバーだったが)。
ホーム用に限ってだが胸番号と背番号は異なった書体が採用されていたことは非常に興味深い。ビジター用は同じ書体だったのに何故そうなったのだろう?
ビジター用で唯一残念なのはスパイクカラーがホーム用同様ホワイトに変更されたこと。どう考えても、このユニフォームには黒のスパイクの方が馴染むのに何故変更したのだろう?ホーム用とスパイクを共有することで経費削減を図ったのだろうか?
また、ホーム用のキャップには1946年以来のとなる縞模様を復活させる(但し1946年はクラウン部分はグレー。クラウンが白に縞模様は1943年以来)。クラウンが白のキャップは当時のNPBでは非常に珍しかったが、不思議と阪神に関しては違和感がなかった。
海の向こうMLBではCINが1993年に縞模様キャップを約30年ぶりに復活させたが…あまり評判は良くなかったのか1998年をもって廃止された。
左から#17 ブレット・ブーン/#70 ステファン・ラーキン/#29 アーロン・ブーン/#11 バリー・ラーキン
但しヘルメットはビジター用と共有していたのか縞模様は使用されていなかったことは阪神と異なっていた。
#12 ディオン・サンダース
話は阪神に戻って胸に描かれている「Tigers」のロゴ、及び虎の紋章は球団創立時の大阪時代から殆ど変わっていない。厳密に言えば多少のマイナーチェンジはあるものの基本は一貫している。伝統のスタイルを守ってきたという意味ではNPBで阪神の右に出る球団は皆無である。
また、企画ユニフォームになるが2013年に使用された「ウル虎の夏ユニフォーム」はシンプルで大のお気に入り。できることなら通年使用してほしいほどの高いデザイン性であった。
#7 西岡剛
#19 藤浪晋太郎
#55 ジェイソン・スタンリッジ
#24 檜山進次郎
1940~1944年の戦時体制下で左胸に「阪神」のロゴが配置された時期(注1)はあったが、それを除けば史上初めて胸のロゴが「Tigers」以外のものになり、更にはロゴが左胸だけに配されたユニフォームとなった。2016年より阪神タイガースはラケットラインを採用しているが、正直「Tigers」とのロゴとの組み合わせはくどいが、このユニフォームのように左胸のみにロゴとラケットラインとの組み合わせは非常に良いバランスになっていると思える。
注1:大阪/阪神で初めて左胸だけにロゴが配されたユニフォーム
左から若林忠志、呉昌征(1944年モデル)
次回は広島東洋カープの予定。
※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)
好きなキャップロゴはこちら。
基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
①昇華プリントNG
②広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要
第10回目は現在の「阪神タイガース」
●ホーム用
・1988~1990モデル
#00 ルパート・ジョーンズ
#16 岡田彰布(左は#5 金森栄治)
#44 ランディ・バース
●ビジター用
・1988~1990モデル
#8 田尾安志
#44 セシル・フィルダー
阪神という球団は現存するNPB球団では巨人に次ぐ歴史を有する球団ではあるが、ユニフォームは比較的短期間で変更を繰り返している。しかし、1982年にホーム用で採用されたモノクロユニフォーム、及び1984年から採用されたグレーにピンストライプのビジター用ユニフォームはマイナーチェンジが何回かあったものの基本的なデザインは長年変更がなかった稀有なユニフォームであった。オレもNPB観戦を始めた時、阪神はこのユニフォームで1985年も当然このデザインのユニフォームを着用していたので最も思い入れのあるデザインである。
但し、オレが今回お気に入りとして挙げたのはホーム・ビジター用共に1988~1990年モデル。というのも基本的にこの時代の阪神はプルオーバーを採用していたが1988年に就任した村山実監督がプルオーバーに対し否定的だったため。ここで、このユニフォームは完成したと言っても過言ではないだろう。
しかし、中村勝広監督2年目の1991年に元のプルオーバーに戻してしまい、2001年に星野仙一監督が就任するまで時代遅れのプルオーバーが採用され続けることになる(但し2001年以降も上のボタン3つまでが開閉式で残りは飾りボタンなので厳密にはプルオーバーだったが)。
ホーム用に限ってだが胸番号と背番号は異なった書体が採用されていたことは非常に興味深い。ビジター用は同じ書体だったのに何故そうなったのだろう?
ビジター用で唯一残念なのはスパイクカラーがホーム用同様ホワイトに変更されたこと。どう考えても、このユニフォームには黒のスパイクの方が馴染むのに何故変更したのだろう?ホーム用とスパイクを共有することで経費削減を図ったのだろうか?
また、ホーム用のキャップには1946年以来のとなる縞模様を復活させる(但し1946年はクラウン部分はグレー。クラウンが白に縞模様は1943年以来)。クラウンが白のキャップは当時のNPBでは非常に珍しかったが、不思議と阪神に関しては違和感がなかった。
海の向こうMLBではCINが1993年に縞模様キャップを約30年ぶりに復活させたが…あまり評判は良くなかったのか1998年をもって廃止された。
左から#17 ブレット・ブーン/#70 ステファン・ラーキン/#29 アーロン・ブーン/#11 バリー・ラーキン
但しヘルメットはビジター用と共有していたのか縞模様は使用されていなかったことは阪神と異なっていた。
#12 ディオン・サンダース
話は阪神に戻って胸に描かれている「Tigers」のロゴ、及び虎の紋章は球団創立時の大阪時代から殆ど変わっていない。厳密に言えば多少のマイナーチェンジはあるものの基本は一貫している。伝統のスタイルを守ってきたという意味ではNPBで阪神の右に出る球団は皆無である。
また、企画ユニフォームになるが2013年に使用された「ウル虎の夏ユニフォーム」はシンプルで大のお気に入り。できることなら通年使用してほしいほどの高いデザイン性であった。
#7 西岡剛
#19 藤浪晋太郎
#55 ジェイソン・スタンリッジ
#24 檜山進次郎
1940~1944年の戦時体制下で左胸に「阪神」のロゴが配置された時期(注1)はあったが、それを除けば史上初めて胸のロゴが「Tigers」以外のものになり、更にはロゴが左胸だけに配されたユニフォームとなった。2016年より阪神タイガースはラケットラインを採用しているが、正直「Tigers」とのロゴとの組み合わせはくどいが、このユニフォームのように左胸のみにロゴとラケットラインとの組み合わせは非常に良いバランスになっていると思える。
注1:大阪/阪神で初めて左胸だけにロゴが配されたユニフォーム
左から若林忠志、呉昌征(1944年モデル)
次回は広島東洋カープの予定。
※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)
好きなキャップロゴはこちら。