夕餉の席で妻が言う。
昨夜のことだ。
「いい庭ができたね、すばらしい、って伝えちょってって」
35年もいっしょに暮らしていれば、主語の省略などは日常茶飯事だが、さすがにそれでは、その言葉の主が誰なのかがはっきりしない。
しかし、いちいちそんなことで目くじらを立てないのもまた、夫婦というものだ。
さらっと問い返す。
「誰が?」
「〇〇さんが」
〇〇さんとは彼女の友人だ。
「ふーん、行っちょったがや」
「ブログでみたって」
「どこの?」
「あんたの」
「へー、あいつ、オレのブログを見てくれゆうがや、うれしいなぁ」
ということで、
意外な読者の存在を教えられたことに気をよくして本日も「モネの庭から」。
ファインダーをのぞいていると(しかも近ごろでは超望遠レンズというおもちゃを手に入れたもんだから)、それが一つにせよ二つにせよ三つにせよ、花そのものだけに意識が向かってしまいがちになり、ピンポイントで睡蓮を撮りたくなってしまう。
そして、やれピントが、やれ色合いが、などなどとミクロな部分に意識が集中してしまい全体を見ることが少なくなってくる。
しかし、この庭のもつ機微はそこにはない。
空
木々
水
そして花
それらがあいまった風景にこそ、「水の庭」の妙味があり、この庭がこの庭たるゆえんがある。
何を今さら、と思う。
たしかに、トータルでは20年、写真を撮りはじめてから12年、それだけつきあってきたというのに、今さらではある。
しかし、ま、よいではないか。
人は、そうやってぐるぐるぐるぐる繰り返し繰り返しするものだ。
同じことを、折にふれそのつど都度であらためて思いあらためて知ることが、悪かろうはずはない。
なんとなれば、35年つきあってきても、「今さらながらに再確認」することが多々あるのだもの。
まだまだ、、、ねぇ。