コンコンと降る 雪を眺めていると 色々 頭の中をよぎります
愛子様・・・なんとも 気品がありますよねー
強い 芯を感じます
利発な方なんでしょうね?
天皇陛下と皇后陛下の 両方の 良い部分を 受け継がれていらっしゃる・・・
どうか 穏やかに 過ごしていただきたいです
そして オミクロン変異株・・・
閉鎖する以前に すでに 日本に入っていたのでは?なんて 言われています
ってことは 油が じわじわと 染みるように
また 触手を伸ばしていくのでしょうか?
もうそろそろ・・もうそろそろ と 期待していた 海外旅行組の皆さんは
この オミクロン変異株が出現したせいで
また 海外旅行は 先に延びてしまった・・って 感じでしょうか?
やっぱり いまは足元をじっくり固めて
ふわふわとした 雪のような 楽しみを夢見るだけなく
毎日 毎日を 充実させるのが 良いのかもね?
色んなことを いろんな意味で 後悔しない為にも・・・
さて とある方の ブログで こういう文章がありました
”今日 旦那様のフェイスタオルを買い替えました!”って・・・
????????? 我が家では これは ない!
そうなんです
わが家には この 誰の何とか・・って言うのがないんです
だから フェイスタオルも バスタオルも 積んであるのを
上から 使うし
お茶わんも お箸も 誰の?って概念が ありません
マグカップもそうですねー
誰が どれを使おうと 誰も 何も言いません・・・
それぞれの家庭に それぞれの 決まりあり!ですね(笑)
ゆーーきやこんこ・・あられやこんこ・・・って 歌いたくなる感じで降ってますねー
子供の頃の雪遊びには 手袋 マフラー きゃはん は必須でしたねー
きゃはん・・・脚絆・・・今は 何て言うんだ?
うちの子供たちの時は足カバーなんて 言ってた気がするけど(笑)
私が子どもの頃 手袋も 靴下も 脚絆も 全部
私のおばあちゃんが 毛糸で編んでくれてました
手袋は2枚重ねで 中は5本指 外は ぼっこ手袋で。
ぼっこ手袋は・・・そう!ミトン型の手袋のこと。
これらは セーターが古くなったら ほどいて 編み直したもののようでした
1時間も雪の中で遊ぶと 手袋もびしょびしょになるので
玄関先で ”おばーーちゃーーん!!”て はんべそをかくと
はい!はい!!って 変わりのを持って来てくれて
それに はきかえて もう一度外へ!(笑)
夕方帰宅すると 濡れた 手袋 マフラー 脚絆は
石炭ストーブの回りの ガードのふちにかけて 乾かしました
そう言えば 子どもの頃はわたしも冬は長袖のシャツを着てました
今のように 気密性の良い家ではなかったからなのか
真冬になると その シャツの上に 着せられたのが
おばあちゃんが言う ”ジャケツ”と言う
細い毛糸で編んだ 長袖のTシャツみたいなもの。
その ジャケツを着て寝ると とても温かかったです
今ちょっと調べたら 毛糸で編んだ長袖の上着のことで
ジャケットの古い言い方・・なんて 出て来ました
私のおばあちゃんは 以外と ハイカラだったのか?
カラフトで雑貨店をしていたと聞きました
おばあちゃんは 後妻さんで 母はそのおばあちゃんの一人娘
雑貨店は繁盛していたので 一人娘の母は
洋服も 着物も 上等なものを身に着け
欲しいものはなんでも 与えられたようです
そして 何かあった時に・・と おばあちゃんは 可愛い娘の為に
ある程度のお金をお守りに入れて 持たせていたんだとか?
お嬢さまだった訳です・・母は!(笑)
だもの 自分が一番だわよねー そのまんま 大人になった 母です。
私が手仕事が好きになったのは この おばあちゃんのお陰です
冬になると ストーブの前に いつも 針を動かしてました
私は それをずーーっとじーーーっと 見てました
小学4年生の時に”教えて!”って言いましたが
忙しいのでかなわず
なので 自己流で始めました
手仕事も自己流も 発生はこの 10歳の私でしたねー
かぎ針編み 棒針編み・・・
高校まで 続きました
その後 クロスステッチと併用しながら お勤めしたいた頃も
昼休みには 編んでました
主人にもセーターを編んだことがあります
それを 経て 子育て中には ミシンでの小物作りから
簡単な洋服を・・・懐かしいなぁーーーーー
赤ちゃんの時の息子に 甚平を縫い
娘にも 同じパターンで縫って着せたら 母が
”女の子はおそでは元禄にしないと・・”って言われたっけ・・・
お袖は 丸くするものの様でした(笑)
そして このマンションに住み始めて パッチを初めて26年
去年 コロナのせいで 興味を失い ちりめん細工に手を染め
そして今は 刺し子に没頭している私って いったい・・(笑)
私にも 歴史みたいなものがあるじゃん!
お料理をするようになったのは 母が あまり しない人だったから・・・
ずっと 外で働いていたので 料理は おばあちゃんでした
当然 私は いつも その 手元を見てました
高校の時に 教えて!って言ったのですが
調味料とかは目分量だからって 断られて
それで 自分でレシピ本を買って ちょこちょこ 作り始めたのが最初です
なんでも やってみたい 私でしたねー
結婚してからは どんどん がんがん 作りたいものを作りました
しかし 基本が出来ていないから 失敗作も当然あります
一番が きんきの煮つけです
今の私でも 滅多にしないものを 良く作ったもんだ!
頭は取った 内臓も抜いたし えらも 外した・・・
これ 全部本を見て・・・
でも うろこはとらなかったので 出来上がりは味は良かったけど
主人は うろこを 器用に剥がしながら 食べてくれましたねー
なんでも挑戦してみたい気質は 今でも もりもりあります
でも そろそろ 身の程を知らないと ショックも大きいかと(苦笑)
技術があっても 頭が説明文を理解出来ないと 先には進みませんから・・・
どんどん どんどん 降ってますが
そろそろ 仕事しないと・・・