風に吹かれて ~いつか どこかで~

徒然なるままにと気取って始めた 母の介護・趣味の工作・覚書に日々雑感
自己満足だけど書くと楽になることもある

母と行った 浅草お酉さま

2016年08月01日 | 明るい介護生活
台所に立って夕食の支度をしていて《これはお母さん喜んだよな》とか

《お母さんにはこうやって食べさせたよな~》とか思い出したり

《こんな手間掛けたってお母さんにはもう食べさせられない》って辛くなったり

食事の用意が空虚で意味のないものに感じて おざなりになりそうになる

それでも『ちゃんとしなきゃ』と夕食の準備は続けている

夕食の準備をしているといろんなことが頭の中に思い浮かぶ

最近は何故だか 母とお酉さまに行った時のことが繰り返し浮かんでくる


あれはいくつの頃だったろうか?
母と外出するといつも母の思いと私の気持ちの反りが合わず
すぐに休みたがる母とケンカになったり 私が拗ねてしまったりで
2人で出かけるのはダメだよなーと思っていた頃
どちらが言いだしたのか どうした弾みかで二人で浅草のお酉さまに出掛けた

浅草に出たのか?三ノ輪だったのか? 
場所も分からず 駅からはしばらく歩くことになり
混雑した人の流れに身を任せて商店街らしき道を歩いた
母はワクワクしているのか うきうきした笑顔でいる
ひょいと気軽に出てきてしまった私は軽装で 陽が落ちてくるにつれ寒さを感じ
丁度通りかかった用品店の店先に¥500の黒いパーカーを見つけて買った

お酉さまの境内は外の道よりさらに混み「押すな押すな」の状態で
お参りする頃には母とはぐれ 終わって振り返ると人の流れで右と左に分かれていた
お互いに顔を見付けて出口で会おうと手で合図
出口で合流し 今度は来た道とは反対側の道で駅に向かう
途中 ちょっとしゃれた喫茶店が目に入り コーヒーで休憩

この時 母と何を話したのかさっぱり覚えていないけど
とにかく2人の息がぴったりで すごく気持ち良く和やかに
母がずっと嬉しそうな笑顔をしていた
何故か 駅からの道 洋品店でダウンを買ったこと 人にもまれながらお参りを済ませ
はぐれた母の顔を人並みの向こうに見付け ぞろぞろと歩く中 ガラス張りの喫茶店に入り
カウンターのスツールに腰かけコーヒーを飲みながら 外を歩く人を眺めたこと
あの日の一連の情景全てが鮮明に目に浮かぶ

大好きな母との想い出だ
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母を想ふ

2016年04月06日 | 明るい介護生活
5年前の秋 老健に母の面会に行った帰りに この道で自宅で介護しようと決めた

今日 桜花が舞うこの道でもういない母を想う


自宅介護を決めた秋の道                母を想う桜花舞う道
               
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ごめんなさい

2016年02月21日 | 明るい介護生活
母が亡くなってから いろいろなことを考えた

病状を見つけられなかった増田クリニック ただ寝かせて現状維持の友愛病院 姥捨て扱いの第2洪誠病院

いろんなところを恨んだり ああすれば良かった こうすれば良かったと考えたけど


でもでも今日気がついた

去年の8月 増田クリニックに連れて行った時 増田が「憩室炎」と言ったのは明らかな誤診で

でも「炎症があるから通った方がいいんだけどな」と言われたんだから 点滴に通えば良かったんだ


私は懸念していたんだから「肺炎」を診てくれと 点滴に通っていれば

おかあさんは体力があったんだから 1週間も通えば改善したかもしれない

首が座らなくなっていたお母さんを 車椅子に乗せ 介護タクシーを頼み

毎日点滴に通うのを躊躇したんだ 結構面倒だなーと・・・。


9月いっぱい 段々食欲がなくなっていき 体が動かなくなって・・・。

それでも元気だったよね 食べようとしたよね 明るかったよね

私が手を抜いたんだ。。。  ごめんね

3ヶ月も病院で寝たきりにさせたのは私なんだ  

辛い思いをさせちゃった  ごめんね

こんなに早く逝かなくて済んだのに まだまだ楽しく暮らせたのに ごめんね

誰のせいでもない 悔しいのは自分のせい 私が哀しくなるのは当然だよね ごめんね


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明るい介護生活はまだまだ続けさせて欲しかった

2016年02月07日 | 明るい介護生活
1月1日 早朝 母は年が明けると共に逝ってしまった。

まだ信じられない 受け入れられない 納得出来ない

3ヶ月も食べられず 話せられなくなり 動けなくなった母を見ていたのに



今 私はこのブログを読み返し 母は動けなくなるギリギリまで

家にいてくれたんだと自分を納得させようとしている


諸々の手続きで行った 各窓口で母の名前を書くたびに涙が止まらなくなり 

窓口の担当者に慰められ その優しさに感謝した


介護中も入院後も対応した病院、医者に憤りを覚える

彼らは患者自身を自分の眼で診ようとしない MRIやデータをPC画面で見るだけだ

母は12/9に友愛病院から紹介された第二洪誠病院へ転院した

この第二洪誠病院が酷い病院だった

そこに転院させ 一人で逝かせてしまった自分が許せない

もう取り返せない やり直せない悔恨 でも見過ごしにはできない事実がある

命を預かる病院が命を軽視し 相手が答えられないのを幸いに手を抜く 

貧すれば鈍する 見えることころだけ体裁を整え 中身はカラッポ 必死に金集め

あの軽井沢のバス事故を起こしたバス会社と同じ構造

高齢者を預かる病院や施設は大変だと思う 思いやりだとか献身を求めている訳じゃない

せめて大切な命を預かっているんだ 人生を背負った人を診ているんだという意識くらいは持っていて欲しい

もう何を言っても母は帰ってこないけど 私が許せない事実だけは認めさせてやる


公的機関に相談したが「病院に直接確認する方が良い」と言われ

病院長あてに質問状と言う形で1/28に手紙を送った

まだ返事が来ない このまま黙殺するつもりなのか? 

返事が来なければ しかるべき方法を取るつもりだ


母を見送った朝の景色
頭はカラッポのまま上る朝日を見つめていた












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無事に転院

2015年12月09日 | 明るい介護生活
「転院の準備を」と連絡があってから あれよあれよと云う間に9日に決まって

気持ちの動揺はあったものの『回復して自宅に帰る』ことが難しいなら

流れに任せようと粛々と手続きを進めた

昨日8日には 一応 母に「明日 新しい病院に移るよ」と話して聞かせた

今日は穏やかな好天に恵まれて いつも眠っている状態の母が目を開け

不安なのか喜んでいるのか意思表示の内容は分からないけど 反応を示した

看護師さんも気さくでテキパキしていて 広い病室で お医者さんもはっきりと話してくれて 

土地勘のない場所で 知らない病院で不安で心細かったけど良い転院になったと明るい気持ちになった

帰る時 母の顔に西日が入って眩しそうなのが気に掛り・・・

何とか顔に当たる陽を遮ろうとしたけど 向こうのカーテンを全部引かなきゃならなくて

看護師さんに言えばよかったんだろうけど・・・ はぁ。。。

今振り返ると天気が良かったのとなんとなく事が少し進んだ気がして気分がハイになってた


面談の時に渡された書類に目を通して 造影剤やMRIの検査承諾書は「やりたくない」と

断るつもりでサインをしなかったのに 入院の手続きの流れの中で

看護師さんに「特にしないと思いますけど 一応署名しておいてください」と言われサインしてしまった

その後 医者からの話の中で「急にしゃべれなくなったのは脳梗塞かも」でMRI検査

中心静脈カテーテルも「2ヶ月になるなら感染の危険もあるから」差し替える などなど

そして年内もつかどうか 会わせたい親戚がいれば早めに云々。。。

覚悟はしているつもりでその時はお任せすると話して来たけど


家に帰って冷静に母のことを考えた 

いつもと違う場所にいるのは分かっているだろうし 広い静かな病室で

一人置き去りにされた気持ちになっていないだろうか?

MRIは動かないように眠らせる薬を使って 出来れば今日中にすると言っていた

体力の落ちているところに今日は車で移動し 緊張していたのかいつものように眠らずに目を開け 

こちらに反応していて疲れて不安でいるだろうに 眠らせる薬を使ってのMRI検査を承諾して良かったのかな?

結局 病院はベッドは空けておけないし 入ってくれば検査・検査で稼ぎたいのだろう

「年内持つかどうかは分からないよ」と家族にはインフォームドコンセントしてある

医者として嘘でも間違いでもないだろうけど 若い人の命を助ける治療とは違うからね 高齢者の入院は

特に本人は何も訴えられない状態なんだし・・・

入院となったら検査したがるだろうなとは思っていたけど

かと言って入院させた以上医者の方針に否やを唱えられず・・・


今回 転院の話からなんだか病院ごっこをしている気がしていた

母に取ってどうしたらいいのか?母の気持ちに寄り添うことが大事なんだと思っていながら

いつも後になってから気づく 考えが足りないよなぁ~

風前の灯火と云えども人の命なんだよね 胸が痛くなる。。。

命を預けるのに 現在の介護制度 医療制度 親の最後の時間 看取り方 何が正しいのか・・・。

明日 早目に行ってあげよう そして手を握っていよう ママチャリで6Km がんばるぞ! 




写真は家でのティッシュ遊びの結果
「まったく~」と叱っていたけど 今となっては。。。



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