一日があっという間に過ぎ 何一つ出来ないままに日が暮れて
1週間が3日位の早さで過ぎて行く
日記代わりのブログも「何をどう書こうか?」と考えているうちに大晦日
今年一年を振り返ってみると「反省」の年になるのかな?
いろいろなことに気付き 来し方を顧みて反省
何をするにもぶきっちょで 良かれと思ってしたことも
意見したことも 思うようには伝わっていない
いつでも低姿勢で 愚直に体当たりしては弾き飛ばされ 軽くあしらわれる
若い頃から「私はこの世に初めて生まれてきた」と思っている
輪廻転生前の第一回目 だから何を見ても 聞いても 経験してもそれは全て勉強
それでもそこそこ永い時間を過ごしてきて
分かってきたこと 整理した事 気付いたこと
そしてどう動くのか どうしたら良いのか どうすべきか
それは来年の自分への課題だな
還暦を迎えた時「感謝」の気持ちが溢れた
ここまで無事に生きて来られたこと 生んで育ててくれた両親
出会った人々 声を掛けてくれる人 数々の出来事に感謝の念が湧いた
最近になって思う まだ十分に働けると思うのに仕事がない
いや 選ばなければあるんだろうけど 無理をする気はない
父が定年退職をした時はどんな思いがしたのだろうか?
当時は孫もいたから「もうおじいさん」という目で見ていたけど
本人の気持ちとしてはおじいさんではなかったんだろうな
弟の仕事で内職したり シルバー人材センターに登録したり
真夏に「プールの監視に行ってる」と聞いて
「このくそ暑いのに!大丈夫か?」とアイスコーヒーを差し入れに行ったら
公園にある小さなプール その脇の木陰でランニング姿に麦わら帽子
ホースを持って水浴びする小さな子供たちを嬉しそうに目を細めて見ていた
プールに来る親子連れの足元をそのホースで洗ってやるのが仕事らしい
「俺の人生悔いばかり」なんて変な色紙を書き残しているけど
風呂場に残した絵や アルバムに書き込んでいる言葉からも
父は母の事が好きで 人に対して優しい人だったなと思う
60代の頃の母はどんな気持ちだったんだろうな?
何だか体調が不安で 年中タクシー呼んでは医者に行ってた
週末になると「具合悪いの 帰って来て」と
藤沢で一人暮らししてる私に電話がかかって来た
何度も何度もで「いい加減 勘弁して~」と悲鳴を上げたこともあった
そんな母なのに「卵巣嚢腫」の時は一人で診断を受け病院を決め 一人で手術に臨んでいた
私は何も分かってなくて術後の麻酔から覚める時に
冷たいタオルで顔を拭いてあげたら喜んでたっけなー
子供の頃 お腹が痛くなっても母がおでこに手を当ててくれただけで
安心して治った気がしたものだ
介護中も「具合悪い」と音を上げると「ダイジョブよ!すぐ直るわよ」と言われ
不思議に回復した
今 この歳になって人生の先輩がそばにいなくなって
おっかなびっくり 何とか自信を持って行かなくちゃ!!
そしてありがたいことに 懐かしい古い友人たち 柔らかく嬉しい気持ちになる
新しい年に向かい 新しい自分を目指して
良いお年を
1週間が3日位の早さで過ぎて行く
日記代わりのブログも「何をどう書こうか?」と考えているうちに大晦日
今年一年を振り返ってみると「反省」の年になるのかな?
いろいろなことに気付き 来し方を顧みて反省
何をするにもぶきっちょで 良かれと思ってしたことも
意見したことも 思うようには伝わっていない
いつでも低姿勢で 愚直に体当たりしては弾き飛ばされ 軽くあしらわれる
若い頃から「私はこの世に初めて生まれてきた」と思っている
輪廻転生前の第一回目 だから何を見ても 聞いても 経験してもそれは全て勉強
それでもそこそこ永い時間を過ごしてきて
分かってきたこと 整理した事 気付いたこと
そしてどう動くのか どうしたら良いのか どうすべきか
それは来年の自分への課題だな
還暦を迎えた時「感謝」の気持ちが溢れた
ここまで無事に生きて来られたこと 生んで育ててくれた両親
出会った人々 声を掛けてくれる人 数々の出来事に感謝の念が湧いた
最近になって思う まだ十分に働けると思うのに仕事がない
いや 選ばなければあるんだろうけど 無理をする気はない
父が定年退職をした時はどんな思いがしたのだろうか?
当時は孫もいたから「もうおじいさん」という目で見ていたけど
本人の気持ちとしてはおじいさんではなかったんだろうな
弟の仕事で内職したり シルバー人材センターに登録したり
真夏に「プールの監視に行ってる」と聞いて
「このくそ暑いのに!大丈夫か?」とアイスコーヒーを差し入れに行ったら
公園にある小さなプール その脇の木陰でランニング姿に麦わら帽子
ホースを持って水浴びする小さな子供たちを嬉しそうに目を細めて見ていた
プールに来る親子連れの足元をそのホースで洗ってやるのが仕事らしい
「俺の人生悔いばかり」なんて変な色紙を書き残しているけど
風呂場に残した絵や アルバムに書き込んでいる言葉からも
父は母の事が好きで 人に対して優しい人だったなと思う
60代の頃の母はどんな気持ちだったんだろうな?
何だか体調が不安で 年中タクシー呼んでは医者に行ってた
週末になると「具合悪いの 帰って来て」と
藤沢で一人暮らししてる私に電話がかかって来た
何度も何度もで「いい加減 勘弁して~」と悲鳴を上げたこともあった
そんな母なのに「卵巣嚢腫」の時は一人で診断を受け病院を決め 一人で手術に臨んでいた
私は何も分かってなくて術後の麻酔から覚める時に
冷たいタオルで顔を拭いてあげたら喜んでたっけなー
子供の頃 お腹が痛くなっても母がおでこに手を当ててくれただけで
安心して治った気がしたものだ
介護中も「具合悪い」と音を上げると「ダイジョブよ!すぐ直るわよ」と言われ
不思議に回復した
今 この歳になって人生の先輩がそばにいなくなって
おっかなびっくり 何とか自信を持って行かなくちゃ!!
そしてありがたいことに 懐かしい古い友人たち 柔らかく嬉しい気持ちになる
新しい年に向かい 新しい自分を目指して
良いお年を