平成19年6月22日(金) その7
ここは、五ケ瀬川のなかで最も川幅の狭い
ところです。
天正19年(1591年)県(あがた)の領主
(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められ
たとき、三田井城が落ちた際、城を脱出し
た家来たちがここまで逃げたが橋が無いの
で、槍の柄を手前の岩についた者は飛び渡
り、向こう岸についた者は川の中に転落し
たと伝えられており、ここを「槍飛び」と
言うようになったと、伝えられているよう
です。
ここは、五ケ瀬川のなかで最も川幅の狭い
ところです。
天正19年(1591年)県(あがた)の領主
(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められ
たとき、三田井城が落ちた際、城を脱出し
た家来たちがここまで逃げたが橋が無いの
で、槍の柄を手前の岩についた者は飛び渡
り、向こう岸についた者は川の中に転落し
たと伝えられており、ここを「槍飛び」と
言うようになったと、伝えられているよう
です。