平成19年6月22日(金) その22
これが、天岩戸神社本殿正面前である。
ここで、神主が参拝者が2,30人位のグループ
になると、私達参拝者のためにガイドになって、
15分ばかり、この神社の由来とか天岩戸を案内
して説明がされる。
天岩戸の現場はこの神社の裏側にあった。
本殿横の戸びらを開けて裏へ回る。
残念ながら、ここは神域になっていて、写真撮影
は一切禁止されていた。
それを知った瞬間、私にとっては大きな期待が見
事破られてしまってショックを受けたが、どうし
ようも無い。
なんとか、この貴重な記録を画像に残したいとい
う夢は無残にも消え失せてしまったのである。
とにかく、参加者の心に刻むしか他ならないので
ある。
私のブログ御覧の皆様には、一口に申して、この
神社裏は昼間でも薄暗く山の間に一つの大きな割
れ目が出来ていた、と言うことしかお知らせする
ことが出来ません。
その大きな割れ目は、元洞窟であったようですが、
今は殆ど塞がれている状態になっていました。
天変地異のため塞がれた、ということでした。
その天変地異というのは、阿蘇山噴火に依るものだ
と説明していました。
私の目には、その山の割れ目とその山の麓を流れ
る岩戸川の白く躍っている川の水が見られるのみ
でした。
神話にある、その洞窟前の広場なぞ全く見付ける
ことは出来ませんでした。
それもその筈、洞窟前で大勢の神(800万の神々
とも言われている)が神議なされた、ということ
が神話に載っていますが、その場所は、この洞窟
から約15分歩いて岩戸川渓流沿いの上流に位置
している、と言う事をここで初めて知りました。
これは、私にとっては、貴重な発見でありました。
その岩戸に隠れた(あまてらす)天照(おおみかみ)
大御神を迎え出す方法を神々が話し合ったその場所
というのは、正式名を「(あまのやすかわら)天安
河原」と呼んでいることも知りました。
兎に角、「天岩戸」とその前で神議がなされた広場
と言うのは、同じ場所では無いと言うことがはっき
りしました。
そして、その広場のことを誰かが「(あまのやすかわら)
天安河原」と命名したのでしょう。
でもその時、 私がとても嬉しかったのはその
「(あまのやすかわら)天安河原」だけは、写真撮影
が自由なんだ、ということを耳にしたことでした。
ここで、注意せねばならないのは、この西本宮という
のは、普通の神社とは違い、神様そのものを祀るので
は無く、この神域だけを特定し、ただ拝殿のみの社で
あることも分かりました。
これが、天岩戸神社本殿正面前である。
ここで、神主が参拝者が2,30人位のグループ
になると、私達参拝者のためにガイドになって、
15分ばかり、この神社の由来とか天岩戸を案内
して説明がされる。
天岩戸の現場はこの神社の裏側にあった。
本殿横の戸びらを開けて裏へ回る。
残念ながら、ここは神域になっていて、写真撮影
は一切禁止されていた。
それを知った瞬間、私にとっては大きな期待が見
事破られてしまってショックを受けたが、どうし
ようも無い。
なんとか、この貴重な記録を画像に残したいとい
う夢は無残にも消え失せてしまったのである。
とにかく、参加者の心に刻むしか他ならないので
ある。
私のブログ御覧の皆様には、一口に申して、この
神社裏は昼間でも薄暗く山の間に一つの大きな割
れ目が出来ていた、と言うことしかお知らせする
ことが出来ません。
その大きな割れ目は、元洞窟であったようですが、
今は殆ど塞がれている状態になっていました。
天変地異のため塞がれた、ということでした。
その天変地異というのは、阿蘇山噴火に依るものだ
と説明していました。
私の目には、その山の割れ目とその山の麓を流れ
る岩戸川の白く躍っている川の水が見られるのみ
でした。
神話にある、その洞窟前の広場なぞ全く見付ける
ことは出来ませんでした。
それもその筈、洞窟前で大勢の神(800万の神々
とも言われている)が神議なされた、ということ
が神話に載っていますが、その場所は、この洞窟
から約15分歩いて岩戸川渓流沿いの上流に位置
している、と言う事をここで初めて知りました。
これは、私にとっては、貴重な発見でありました。
その岩戸に隠れた(あまてらす)天照(おおみかみ)
大御神を迎え出す方法を神々が話し合ったその場所
というのは、正式名を「(あまのやすかわら)天安
河原」と呼んでいることも知りました。
兎に角、「天岩戸」とその前で神議がなされた広場
と言うのは、同じ場所では無いと言うことがはっき
りしました。
そして、その広場のことを誰かが「(あまのやすかわら)
天安河原」と命名したのでしょう。
でもその時、 私がとても嬉しかったのはその
「(あまのやすかわら)天安河原」だけは、写真撮影
が自由なんだ、ということを耳にしたことでした。
ここで、注意せねばならないのは、この西本宮という
のは、普通の神社とは違い、神様そのものを祀るので
は無く、この神域だけを特定し、ただ拝殿のみの社で
あることも分かりました。