平成19年6月22日(金) その26
大通りの入り口から約15分近く歩くと遂に念願
の目的地[「(あまのやすかわら)天安河原」]へ到
着しました。驚いたことには、目的地[「(あまの
やすかわら)天安河原」]には洞窟まで見られたこ
とでした。
そのあたり一面は、昼間でも真っ暗でした。
その洞窟前には鳥居が薄ぼんやりではありますが、
建立されていました。
先に「天岩戸神社西本宮」で拝見した「天岩戸」
が、この「(あまのやすかわら)天安河原」にも
見られたことは、私には、驚異の的でした。
人はこの洞窟を[「(ほこら)祠」と呼んでいるよう
でしたが、私にはこの「(ほこら)祠」こそ
「真の天岩戸」と呼んでも構わないような気がし
ました。
この洞窟は後で、間口が30m・奥行き25mだとい
うことがチラシに書いてあるのを見ました。
そこで、私は神話と言うものは人間の理性では通
じないものだな、と言うことを身を以て体験した
次第です。
そう言えば、長野県に「(とがくし)戸隠神社」と
言うのが有りますよね。
この戸隠神社は、天岩戸開きの神話になぞらえ、
神々が(あまてらすおおみかみ)天照大神がこもる
岩戸の前で楽を奏で、踊りを踊ったことから鼓の形
をしているようですし、「(とがくし)戸隠」の名
前の由来も「(あめのたぢからおのみこと)天手力
雄命」が力一杯引いた戸がこの山まで飛んできたこ
とから、[「(とがくし)戸隠」]となった、という伝
説もあるようですが、兎に角、神話となれば、
「なんでも不可能なことを可能にする」と言うこと
が許されるのだな、と身を以て体験した次第です。
ともあれ、この(ほこら)祠に向かって祈願の石積
みが無数に続いているのも私には驚きでした。
大通りの入り口から約15分近く歩くと遂に念願
の目的地[「(あまのやすかわら)天安河原」]へ到
着しました。驚いたことには、目的地[「(あまの
やすかわら)天安河原」]には洞窟まで見られたこ
とでした。
そのあたり一面は、昼間でも真っ暗でした。
その洞窟前には鳥居が薄ぼんやりではありますが、
建立されていました。
先に「天岩戸神社西本宮」で拝見した「天岩戸」
が、この「(あまのやすかわら)天安河原」にも
見られたことは、私には、驚異の的でした。
人はこの洞窟を[「(ほこら)祠」と呼んでいるよう
でしたが、私にはこの「(ほこら)祠」こそ
「真の天岩戸」と呼んでも構わないような気がし
ました。
この洞窟は後で、間口が30m・奥行き25mだとい
うことがチラシに書いてあるのを見ました。
そこで、私は神話と言うものは人間の理性では通
じないものだな、と言うことを身を以て体験した
次第です。
そう言えば、長野県に「(とがくし)戸隠神社」と
言うのが有りますよね。
この戸隠神社は、天岩戸開きの神話になぞらえ、
神々が(あまてらすおおみかみ)天照大神がこもる
岩戸の前で楽を奏で、踊りを踊ったことから鼓の形
をしているようですし、「(とがくし)戸隠」の名
前の由来も「(あめのたぢからおのみこと)天手力
雄命」が力一杯引いた戸がこの山まで飛んできたこ
とから、[「(とがくし)戸隠」]となった、という伝
説もあるようですが、兎に角、神話となれば、
「なんでも不可能なことを可能にする」と言うこと
が許されるのだな、と身を以て体験した次第です。
ともあれ、この(ほこら)祠に向かって祈願の石積
みが無数に続いているのも私には驚きでした。