平成19年6月22日(金) その13
この国見ケ丘に建立されている石像は、後ろに
立っているのが(ににぎのみこと)瓊々杵尊、
ひざまずく2体は土地の豪族で名前は(おおくわ)
大鉗、(こくわ)小鉗だそうです。
ここで、ひゅうが日向風土記を紹介させて下さ
い。
『日向風土記によると、天照皇大神の「地上界
を治めよ」という命により、多くの神々を従え
てたかまがはら高天原を出発した瓊々杵尊は、
日向の高千穂の二上峰に着きますが、霧が深く、
昼夜の区別もつかず、道も分からず、物の色さ
えよく分かりませんでした。
その時この地に住む(おおくわ)大鉗と(こくわ)
小鉗が現れて、「(みこと)尊が手に持たれて
いる稲千穂をもみ籾にして辺り一面に蒔かれた
ら、この霧は必ず晴れるでしょう」とアドバイ
スしたとされます。
尊がその通りにすると、霧が晴れ、無事に地上
界に降りることができ、それ以来、この地は
「(ちほ)智鋪」と呼ばれるようになった、と言
われています。』
この国見ケ丘に建立されている石像は、後ろに
立っているのが(ににぎのみこと)瓊々杵尊、
ひざまずく2体は土地の豪族で名前は(おおくわ)
大鉗、(こくわ)小鉗だそうです。
ここで、ひゅうが日向風土記を紹介させて下さ
い。
『日向風土記によると、天照皇大神の「地上界
を治めよ」という命により、多くの神々を従え
てたかまがはら高天原を出発した瓊々杵尊は、
日向の高千穂の二上峰に着きますが、霧が深く、
昼夜の区別もつかず、道も分からず、物の色さ
えよく分かりませんでした。
その時この地に住む(おおくわ)大鉗と(こくわ)
小鉗が現れて、「(みこと)尊が手に持たれて
いる稲千穂をもみ籾にして辺り一面に蒔かれた
ら、この霧は必ず晴れるでしょう」とアドバイ
スしたとされます。
尊がその通りにすると、霧が晴れ、無事に地上
界に降りることができ、それ以来、この地は
「(ちほ)智鋪」と呼ばれるようになった、と言
われています。』
平成19年6月22日(金) その12
ランチを終えると、 次の観光場所は、「国見ケ丘」
だ。 この国見ケ丘は、標高513mで、別に驚
くほどの高さでは無いが、足元に高千穂盆地、西に
阿蘇外輪山、北には九州の尾根祖母山(標高1757m)
の連峰がそびえ、南には椎葉の山々の連なりを見る
ことが出来る。
この国見ケ丘の地名は伝説によると、神武天皇の御
孫建盤龍命(たけいわたつのみこと)が筑紫の国の
統治の命を受け、下日向県(しもひゅうがあがた)
を経て阿蘇に向かわれる途中に、この地で四方をの
ぞまれた。
これにより「国見ケ丘」と言われるようになったと伝
えられているそうだ。
ランチを終えると、 次の観光場所は、「国見ケ丘」
だ。 この国見ケ丘は、標高513mで、別に驚
くほどの高さでは無いが、足元に高千穂盆地、西に
阿蘇外輪山、北には九州の尾根祖母山(標高1757m)
の連峰がそびえ、南には椎葉の山々の連なりを見る
ことが出来る。
この国見ケ丘の地名は伝説によると、神武天皇の御
孫建盤龍命(たけいわたつのみこと)が筑紫の国の
統治の命を受け、下日向県(しもひゅうがあがた)
を経て阿蘇に向かわれる途中に、この地で四方をの
ぞまれた。
これにより「国見ケ丘」と言われるようになったと伝
えられているそうだ。
平成19年6月22日(金) その9
斯くして、高千穂峡自然歩道を歩いての観光
は終わりました。
すると、この自然歩道の終点に茶屋が有った。
名付けて「おのころ茶屋」と言う。
ドライバーは先に来てランチを取っていた。
私達も、早速茶屋へ上がって蕎麦を注文する。
広い座敷に上がると先ず出されたのは竹筒に
入ったお茶で、竹製コップに注いでお茶を一
気に飲んで疲れを癒す。
平成19年6月22日(金) その7
ここは、五ケ瀬川のなかで最も川幅の狭い
ところです。
天正19年(1591年)県(あがた)の領主
(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められ
たとき、三田井城が落ちた際、城を脱出し
た家来たちがここまで逃げたが橋が無いの
で、槍の柄を手前の岩についた者は飛び渡
り、向こう岸についた者は川の中に転落し
たと伝えられており、ここを「槍飛び」と
言うようになったと、伝えられているよう
です。
ここは、五ケ瀬川のなかで最も川幅の狭い
ところです。
天正19年(1591年)県(あがた)の領主
(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められ
たとき、三田井城が落ちた際、城を脱出し
た家来たちがここまで逃げたが橋が無いの
で、槍の柄を手前の岩についた者は飛び渡
り、向こう岸についた者は川の中に転落し
たと伝えられており、ここを「槍飛び」と
言うようになったと、伝えられているよう
です。
平成19年6月22日(金) その6 画像
高千穂峡で、この対岸に広がる屏風面の岩を
「仙人の屏風岩」と呼ばれています。
上流の新橋付近から下流の真名井の滝・ボート
乗り場付近までは造形美の美しいところだと
言われています。
そして、昭和9年(1934年)、付近一帯が
「名勝天然記念物」に指定されているのです。
注) ご存知のことと、思いますが、 画像
をクリックして戴くと、 いくらかサイズが
大きくなって見られます。
高千穂峡で、この対岸に広がる屏風面の岩を
「仙人の屏風岩」と呼ばれています。
上流の新橋付近から下流の真名井の滝・ボート
乗り場付近までは造形美の美しいところだと
言われています。
そして、昭和9年(1934年)、付近一帯が
「名勝天然記念物」に指定されているのです。
注) ご存知のことと、思いますが、 画像
をクリックして戴くと、 いくらかサイズが
大きくなって見られます。